南総里見八犬伝 二 第三輯第一巻第二十一回 その5 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 そしてその夜、初更(しょこう:午後七時から午後九時)の頃、饗膳(きょうぜん)がようやく終わると、法師は布施の二杖頭(ふたさしぜに)[注1] をへその辺りに押し込んで、立ち上がると、百姓等も皆謝辞をいいながら、徐々に退出し、門の周り、ろうそくの灯火も、それぞれが一口念仏し、
 
「南無阿弥反畝(なむあみたんぼ)でこけるなよ」
 
と冗談を言いつつ帰っていった。後は大風がないだようにしめやかに、洗い清めて拭い去り、御器(ごき:ふた付きの茶碗)の音だけが聞こえていた。
 
 こうしてその翌朝、信乃は亡き父母の墓に、香と花を手向けようと、菩提院へ向かい、帰るのをまたずに蟇六夫婦は小者等を駆り立てて、犬塚の家の家具調度を運ばせて、竈下の物、畳、建具など、大方の物を売り払って、素早く空き家にしてしまった。信乃はそうとも知らず、自分の家近く帰ってくると、道の辺に佇む者がいる、と見れば額蔵だった。裳裾を高く端折り揚げて、斜めたすきが精悍に見え、煤に汚れた額の汗を、拭っていた様子に、不安な気持ちになり、
 
「ここで何をしているのか」
 
と問いながら走って近づくと、額蔵が後方を振り返って、
 
「今朝がた、あなた様が外出してから、あっという間に、荘官殿が人率いてきて、家の丁度を運ばせて、あるいは売り払ってしまわれて、私も人夫役として使われて、見て下さい、年の暮れに煤払いをするように、手も足もこのようになってしまいました。今ようやく仕事が終わったのです。腹が立って堪えられないのですが、すぐに母屋へ向かって下さい」
 
と言われて信乃はあきれ果て、
 
「あらかじめ覚悟をしていたが、親の五七の忌日だというのに、今日一日も過ごしても、まだ遅くはないだろうに、このように急ぐのは衆人(もろびと)の気持ち変わりを恐れるからだろう。長物(ながもの:長いもの。ここでは宝刀のこと)のある場所など、誰も知らないのに。額蔵よ、急ぎ行って下さい」
 
と額蔵を先に立たせて、静かに進みながら自分の家を見ながら近くに寄ってみると、外の垣根に杜仲(まゆみ・とちゅう:トチュウ科の樹木)が折られた庭に、門には固く鎖が巻かれていて、名残惜しいが、誰もいなくなって、悲しい思いに沈み、しばらく其処に佇みながら、犬の与四郎を埋めた梅の木のあたりをみると、愛惜で袖の袂を露の涙で濡らした。
 
「なんとまあ、彼の為にしても、卒塔婆を建てよう」
 
と一人つぶやくと、短刀(のたち)につけた刀子(さすが)を抜き取って、梅の幹の表面を削って、墨斗(やたて)の筆を抜き出し、
 
「如是畜生発菩提心(にょぜちくしょうほつぼだいしん)、南無阿弥陀仏」
 
と写し着けると、筆を納めて、仏名を十遍ばかり唱えたのだった。
 
 さて、なるようになればと、そのまま伯母の家に着くと、蟇六と亀篠は待っていて、
 
「ああ、信乃ですか。早かったね。さあ、こちらへ」
 
と招き寄せて、
 
「あなたが寺より帰って来てから、引っ越ししようと思っていたのだけれど、どうも一日では片付かないというので、中途半端にあなたに見せてしまっては、嘆きが増すのではないかと思って、取り急ぎ前の家を空け払って、家具等はこちらと一緒にしたのです。今日からここはあなたの家なのです。昨夜も申しましたが、あなたが二十歳になる頃に、浜路を妻にして二代目の荘官になって、私たちは裏口へ隠居して、左団扇(ひだりうちわ)で暮らしていこうと、とても待ちわびているのです。浜路、浜路」
 
と呼ばれて、夫婦の間に座ってきた、
 
「まだ満足に口を離しませんが、間近でみればよく似ているのは、信乃はあなたと従兄妹同士、今日よりこちらの子になったのですよ。大きくなったら、あなたの夫、早く背丈を引き伸ばして、夫婦にしてみたい。睦まじくしてくださいね」
 
と説くと恥ずかしがる浜路は幼友鵆(おさなともちどり)、堪えられなくなったのかそのまますっと立つと、屏風の裏に隠れた。信乃は万事に油断せず、甘き言葉は我が身の毒と思って、耳にも掛けず、ほとほと困ってしまって、亀篠はこれを誘って立ち上がり、西面の一間に向かって、
 
「ここをあなたの部屋にしましょう。読書、手習い、怠らないように。用事があれば額蔵や、浜路を呼んで使って下さい。遠慮はいりませんよ。いつまでも緊張せず、打ち解けてくださいね」
 
と慰めて、他に何も無い様子であった。
 
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[注1]二杖頭(ふたさしぜに)
 
 杖頭銭(じょうとうせん)、二本のことで二百文。杖頭銭は、「晋書」阮修伝より、阮修 (げんしゅう) がいつも杖 (つえ) の頭に百文の銭をかけ、酒屋に寄って飲んだというので、酒代の百文の例えにも使われる。江戸中期で金一両(約80,000円)が六千五百文なので、二百文は約2,500円。
 
(その5 ここまで)