南総里見八犬伝 二 第三輯第一巻第二十一回 その4 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 しばらくして額蔵は、家の外側へ出て、母屋の方を眺め、左右を見渡して、片折戸をしっかり立てて閉め、元の場所に向かい座って、荘官夫婦にいわれた事、また自分が言ったことの内容を、密かに信乃に告げた。信乃はしきりに嘆息して、
 
「親にとっては仲が悪くても異母姉なのだ。また私にとってもただ一人の伯母だと思えば、今更汚れた心があるのならば、とにかく動静を疑って、讐敵(あだかたき)のように思われては、長い月日をどうにかして、あちらへ連れて行かれるのだろう。本当に、進退窮まった」
 
と言いながら嘆息した。額蔵はこれを慰めて、
 
「そうです、そのことなのです。伯母ご夫婦は欲にしか興味がありません。ただ利益のために骨肉の愛を忘れるような人々だと知れば、邪気を避けるのに迷いはありません。私はあなた様の影に添って、反間(はんかん:敵になりすまして敵の情報を味方に知らせること)の謀、その糸口はわかりつつあります。ですので、しばらくはあなた様と私は仲良くせず、志が合わない者と、思われるようにしておきましょう。時々私が言うこと毎に信用しないでください、時間が経つと弛むとも言います。彼の人々に害心があるのはわかっていますが、あなた様の心の信(まこと)をもって、柔よく剛を受けるように、伯母御の邪険の角が折れて、最期には慈母となることを祈りましょう。かりにそこまでならないにしても、あの方々が身を放り出して、その様子を見返してやりましょう。ここで考えたことは、この後に役立つとは思えませんが。心狭くしないでください」
 
と諫めると、信乃はすぐに感激し悟って、思わずニコッと笑って、
 
「人の才能には長短がある。私はたった一歳年下の弟だが、あなた様には及ばないこと遥かです。伯母にこの身を寄せることは、もともとは親の遺言なので、吉凶はただ運に任せよう。やがて母屋に移れば、膝を合わせて思っていることを語り合うことは難しくなるでしょう。後々の事までも、あれば教え下さい」
 
と言うと、額蔵は頭を撫でて、
 
「私の才能は、あなた様には及ばないですが、世に言う岡目八目(おかめはちもく:当事者外から見れば気がつくこと)です。もとより知能富んでいらっしゃるので、機に臨(のぞ)み変に応じて禍(わざわい)を避けられるでしょう。私は密かに楯となって、笑みの中の刃(やいば)を防ぎましょう。必ず秘密にしましょう」
 
とささやいて、様々な思慮遠謀を示し合わせる、ここに一双の賢童(けんどう)がいた。
 
 その後、番作の三十五日の逮夜になった。亀篠等は昨日より、汁や膾(なます)の用意をして、碗や家具も母屋から信乃の家に小者が運ぶために何度も往復して、足を棒のようにした後で台所で準備し、大方整ったのが黄昏時だった。この日も信乃は亡き親の墓へ参って、菩提院の法師を伴って、急いで戻ってみると、法師は持仏に向かって、木魚を叩き、看経(かんきん:声を出して経を読むこと)した後、一口茄子(なすび)の澄まし汁と料供(りょうぐ:仏に供える料理)の菜を数えていた。このような所に、糠助等里人がたくさん集まってきて、寒い暑いもなく時間も丁度良く、挨拶も交わして、亡き人の事を話して、
 
「昨日今日の出来事のようだったが、もう三十五日になるのですね。無常迅速、早いものだ。思えばいまでは夢助殿、どこにお詰めなされているのですか」
 
「では御免。このようでは、あまり上座では不躾すぎますね」
 
「いやいや、遠慮にはお呼びませんよ。お手をこちらへ」
 
「これはご迷惑かと、鎌平様はお年役ですよね」
 
「そのように申すな。六十の筵破りということもあります。鍬柄とっても若衆に、一畝(せ)も遅れることはないぞ。仏には別懇(べっこん:特に懇意にすること)なので、糠助殿こそ上客ではないのか、さこちらに座りなさい」
 
と立ち居ながら、謙退辞譲(けんたいじじょう:へりくだること)でどよめいて、やや二席に座を占めると、信乃が自ら並べ据えて、飯に中酒、挨拶紛紜(ふんうん:ことばがもつれる様)に、由断を見澄ましていた額蔵が、碗を奪って飯を盛り、鼻に悲しみが支えて胸が詰まり、汁をかけて、一気に半分ほど食べて息をつくと、下戸の有様をあざ笑う者いて、宗旨が違うのに酒をあおる客に、上座の法師を囲む者どもが歌い膝を崩して騒いでいた。
 
 丁度良い頃を計って蟇六は、縁側から回ってきて、上座の障子を開き、
 
「皆さんお揃いでよく来てくれました。用意したものはそんなにありませんが、くつろいで歓談してくれ」
と言いながら進んで席に着き、手首を入れて袴の菱織りにひだを引き伸ばして、少々角のある主の態度に、皆ひとしく箸を置いて、
 
「思いがけない御饗応、鎧武者ではございませんが、屈伸(のびかごみ)するあ不自由で、お辞儀をすることもできないくらい、頂いております」
 
と一人が言えば、皆ドッと笑い、堪えられず飯粒を膳に吹き散らして花吹雪のようになり、
 
「これは、これは」
 
と言いながら、拾いきれない飯粒を、裏口の雀がまで寝ていないならば、拾って食べよと恨み節を言う。そのような状況だったが、蟇六は苦みきって、見返さず、しばらくして口を開いて、
 
「各々が言っているとおり、我妻は旧(もと)の地頭(じとう)、大塚匠作様の嫡女であり、番作の姉なので、嘉吉の結城合戦に、この家一旦滅亡して、子孫は民に落ちていた後、再興できたのは亀篠が縁につながる私の功である。これは言わなくてもよいことだが、死んだと聞いた、番作が妻をつれて帰って来たので、どうにか所領を分けて、荘官を譲ろうと思っていたのだが、彼は足が不自由で、体の不自由が心に移り直らなかったのか、私たち夫婦を訪れることもなく、姉を恨んで、私をも恨み、讐敵のように罵っていて、生涯話をすることもなく、心が思いのままにならないと思っていたが、さすがに役儀が思いので、こちらから手を差し伸べて、詫びる理由もなかった。しかし、各々は彼を憐れみ、講(こう)を通じて銭を集め、家を剛入試、田畑をつけて生涯生きていけるようにしたので、旧(ふるき)を思う義と信の気持ちからであろう。私は、口こそ出さなかったが、涙ぐましく、またかたじけなく、これまでずっと感嘆していたのだ。このように思いながら、各々に、口誼(こうぎ:言葉でのべるあいさつ)述べるのは役儀の悲しさで、少しは推量していただけただろうか。これはこれまでの事として、彼の片意地を立て通して、番作の墓が亡くなっては、黄泉(よみじ)で迷えば信乃だけでない。この孤児をひきとって養うのは、人としてなさなければ先祖への不孝となる、また私が人から何か言われるだろう。したがって、亀篠と話し合って、番作が死んだ日から、小者等を付けて、交代で夫婦が時々足を運んで、心を添えて五七の逮夜の今日の日まで、等閑(なおざり)にしなかったことは、各々も知っていることであろう。しかし十五にもなっていない甥を、いつまで手放したままこの家に老いておくべきだろうか。明日は母屋へ迎えて、妻を失った丈夫(おとこ)に守育てさせて、娘の浜路を妻にして、大塚氏の世継ぎとする。ついてはあの番作の田畑は、各々に返そうか、または信乃に渡そうか」
 
と問うと、皆頭をあげて、
 
「それはおっしゃるまでもなく、親の物は子に譲る、貴賤の上下、差別はありません。あの田畑の主は、ここの息子の他にはありません。我々が何かすることもありません。よろしくお計らいください」
 
というのを蟇六は聞いて笑うと、
 
「そうならば信乃が成人するまで、沽券(こけん:売買契約をした際の証文)は私が預かろう。また、この家は床を取って、番作の田の稲城(いなき:藁などを保管する家)としよう。各々承知されよ」
 
と真面目な様子で話すと、自分の田にも関わりがあることを知った百姓等は、顔を見合わせて答えかねていると、家の片隅から亀篠が、夫の話に相づちを打とうと進み出て、信乃のそばに並んで、
 
「今日の仏はどうであれ、この子は私の婿となります。子をもたぬ者は人の子を、養ってすら慈しむのに、かけがえのない甥に譲る田畑、役儀もありますから、あの番作の田畑をどうにもしませんよ。信乃もはっきりと心得るように、明日より私の家の竈の下の灰まで、すべてがお前の物になるのです。憎いと思っていた弟でも、今こうなっては、愛おしいと、東を見ても、西を見ても伯母より他には親類はありません、この子の将来を想像すると、襁褓の頃より育ててきた浜路にもまして、不憫なのです。可愛いのです」
 
と言いながら、頻りに袖で雨のような涙を拭ってはいるが、降っている様に見えて、実は濡れていなかった。亀篠が泣き出したので、皆つられて泣き出し、思わず一斉に嘆息して、
 
「本当に親しい憂苦会(なきより:この逮夜の集まり)になりまして、人の誠を今知りました。伯母君のお話は逮夜の追善(ついぜん:死者の冥福を祈って善根を修めること)としてこの上ないものなりました。番作殿のご子息を婿にされるというお話を、一郷の人等は大方聞いておりました。ですから疑ってはおりません。あの田畑は荘官様がしばらくの間預かること、もちろん承知しました」
 
と異口同音に答えると、蟇六と亀篠は喜んで、汁が冷えたのを交換させて、盃を勧め、飯を盛って、もてなすと、はじめの頃よりどんどん増していった。
 
(その4 ここまで)