その後、一方の義実は白浜の旅宿へ急いで戻っていたが、その道は遠く、帰り着く前に日が暮れてしまった。
そもそも、安房の白浜は朝夷(あさひな)郡内にあり、和名鈔[注1]にその名があり、とても古くからの郷である。滝口村に隣接している。今は七浦というのは、この浜辺の総称である。里見氏の旧跡や所縁の寺院などもここにある。いわゆる安房の七浦は、川下、岩目、小戸、塩浦、原、乙浜、白間津のことである。
余談はさておき、義実は次の日の明け方に白浜へ帰り着き、眠るまもなく漁猟の用意をしたのだが、氏元と貞行はよろこばなかった。
「義実様、まだおわかりくださいませんか。信時は勇ましい武士を、景連は頭の良い者を嫌い、才能をねたんでひがんでおります。我々を敵のように見る、あまり頼もしくない安西のために鯉を釣るとは、どうかしています。はやく上総に行って、この嫌な場所から出て行きましょう。」
と一緒になって諌めたのだが、義実は首を横に振ると、
「いや、お前達と私では意見が異なるぞ。麻呂と安房の人となりは、利には敏感だが、義というものを知らない。言っていることと行動は反対で、単に定包を恐れているだけで、滝田に討って出る意志はない。これを知ってしまった今、ここを避けて上総へ行ったとしても、あそこもここと同様なら、この下総は敵になるぞ。そのときはどこへ行ったらよいのだ。君子は時を得て楽しみ、時を失ってもまた楽しむものなのだ。呂尚[注2]は世に言うところの太公望である。七十才になるまで世に知られていなかったが、渭水(いすい)の浜で釣りをしていて文王に仕えることができた。そして紂王(ちゅうおう)を討ち滅ぼして、大きな功名を上げた。その後斉国を与えられ子孫は数十代も続いたのだ。太公望ですらこのようなのだ。私は時と勢力と両方を失ってしまった。釣りをすることぐらいどうということではない。さらに、鯉はめでたい魚である。安南(あんなん:今のベトナム北部地方)にある龍門の鯉は滝をさかのぼると龍に化けると言い伝えられている。私は三浦で龍尾を見た。今、白浜に来て他人に鯉を釣ってこいと言われた。以前起きた現象が将来の良い兆候だと思わぬか。鯉を釣り上げて、持って行き、景連の出方をしばらく見ようと思う。日が明ければ釣りに出るぞ。」
と急がせた。氏元も貞行も、その高論(こうろん:高い見識の議論)に感服して、釣り針を求めて、竿を整え、割籠を腰にくくりつけて、主従三人は名前も知らない淵を探して行くと、森の烏も梢を離れて飛び立ち、空はほのぼのと明けてきたのだった。
-----------<<注釈>>--------------
[注1]和名鈔(わみょうしょう)
和名抄、倭名鈔とも書く。和名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)のこと。平安時代に作成された国語辞典、漢和辞典、百科事典のような辞典である。漢語の名詞に対して、万葉仮名で日本語の読みをつけたもの。現在残っている写本には十巻本と二十巻本がある。二十巻本は律令制による国政区画の名称が網羅されており、ここではこの二十巻本を指していると思われる。
[注1]和名鈔(わみょうしょう)
和名抄、倭名鈔とも書く。和名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)のこと。平安時代に作成された国語辞典、漢和辞典、百科事典のような辞典である。漢語の名詞に対して、万葉仮名で日本語の読みをつけたもの。現在残っている写本には十巻本と二十巻本がある。二十巻本は律令制による国政区画の名称が網羅されており、ここではこの二十巻本を指していると思われる。
国会図書館のディジタルライブラリーで閲覧することが出来る。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991784
[注2]呂尚(りょしょう)
周の軍師として活躍し、後に斉の始祖太公のこと。渭水(黄河の支流)で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言われ召し抱えられたという話に由来する、と言われているが、「望」という文字には「呪いの眼で見る」という意味があるため、前途の故事は疑わしい。さらに、太公望は曲がっていないまっすぐな針で釣り上げた大魚の腹から「六韜(りくとう)」が出てきたとし、六韜の作者とも言われているが、これも疑わしい。六韜は文、武、龍、虎、豹、犬の六巻から成っており、「虎の巻」は兵法の極意として慣用句にもなっている。主に謀略策略について書かれている兵法書である。このことからも、呂尚が六韜をつり上げるほど、謀略に優れていたのではないかと推測できる。
周の軍師として活躍し、後に斉の始祖太公のこと。渭水(黄河の支流)で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言われ召し抱えられたという話に由来する、と言われているが、「望」という文字には「呪いの眼で見る」という意味があるため、前途の故事は疑わしい。さらに、太公望は曲がっていないまっすぐな針で釣り上げた大魚の腹から「六韜(りくとう)」が出てきたとし、六韜の作者とも言われているが、これも疑わしい。六韜は文、武、龍、虎、豹、犬の六巻から成っており、「虎の巻」は兵法の極意として慣用句にもなっている。主に謀略策略について書かれている兵法書である。このことからも、呂尚が六韜をつり上げるほど、謀略に優れていたのではないかと推測できる。
-------------<<雑談>>------------
「康煕字典(こうきじてん)」(http://www.kangxizidian.com/)という漢字辞典がある。真の時代、康煕帝により漢代より跡絶えていた字句編纂事業として「説文解字」より優れた辞典を作成しようと、張玉書ら国内のエリートを集めて6年の編纂期間をもって1716年に完成。全42巻、収録字句数四万九千余。現在ではインターネットで公開されていて、とても便利な漢字辞書である。役に立つというのは、文字の発音、や本来の文字の意味を知る上で役に立つので、漢詩などの古い中国文献をあたる際には役に立つという意味である。また用例も豊富で、過去の名文を拾ってくれていたりするので、読んでいても楽しい。インターネットが普及する前は、質の悪い紙コピーを膨大に持っていたわけだが、不要になったのは大きい。
「鯉」は滝を登って「龍」となる、ということわざは古くからあるように、里見義実はすでに三浦で海から上り行く龍を目撃していることから、定包の「鯉を釣り上げてこい」という難題を、実はチャンスと捉えていることが、本回での会話でよくわかる。ポジティブ思考といえばそれまでだが、幅広い教養と知識の上に、様々な縁起とを関係づけて論理だって駆動するというのが、血脈正しい武士の姿だと、思わせる。このようなキャラクターの立て方は、古くは三国志演義の登場人物の立て方に近いだろう。
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(第三回終了)
(第三回終了)