ピアノの方は、約1年弱格闘していた論文のドラフトができあがり本日、先生に発射。後は手直しがある程度なので、やっと息がつける。まぁ、この大学から去る身なので、最後のご奉公というところ。
なので、趣味的な音楽研究とは別に、南総里見八犬伝の現代語訳に再度続きから取り組もうと思う。そこで、しばらくは数十回にわたって、途中まで、別の閉鎖されたサイトにアップしていた記事を掲載していこうと思う。
種本は、新潮日本古典集成「南総里見八犬伝(以下八犬伝)」、浜田啓介、2003年。名著である。現代語に書き下してあるため、読める。しかし、天才曲亭馬琴の頭脳を解読するのに、かなり苦労する。これまで「八犬伝」という名の小説や現代語意訳が出版されてきたが、馬琴が書いた全文を書き下したのは浜田先生が初めてである。
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肇輯(一集) 巻の一
この時、優れた勇ましい家来が八人いた。それぞれ、「犬」という文字を含む姓を名乗っていたので、これらを八犬士と呼んだのだった。中国の廬舜(ろしゅん)の八元(はちげん)のように彼らに賢さはないといえども、真心を持って物事を進める心(忠魂・ちゅうこん)と人として行うべき正しい行動を行う勇気(義胆・ぎたん)については、年齢も近い、楠木正成(くすのき・まさしげ)の八人の家来と同じようなものと想像する。
残念ながら、里見氏(さとみし)が安房(あわ)で活動を始めた当時の記録はとても数少ない。ただし、当時の軍記(ぐんき・戦争記録)や槙氏(まきし)の推考した文書によれば、その姓名を知ることができる。しかし、今日までに彼らの顛末(てんまつ)を知るための資料は全くない。このことはとても残念だ。残った資料をほしがって、古い文献(ぶんけん)を漁(あさ)ったこともあったが、見つかることはなかった。したがって、どうしようかと考え、まる一日寝ながら思い迷ったこともあった。その夢の中で、南総(なんそう・今の千葉県南部地方)より一人の客が来た。その客が、八犬士の事実について語ってくれたのだが、これまで伝わってきた軍記の内容とは同じ物ではなかった。そこで反論してみると、客は昔、安房の里の老人の口から直接聞いたことであると言う。そこで、この話を多くの人に知ってもらいたく、願っていると言う。私は、これを聞いて、今まで知られて物語とは異なる話ではあるが、世間に広めてみようと、この客に約束をしたのだった。そして、私は客を柴門まで送っていき、客は、喜んで帰って行った。その門のそばに犬が伏せっていたらしく、犬の尾を踏んでしまった。犬の苦しむ声が足下から聞こえてきたところで、びっくりして、夢から覚めたのだった。そう、来客は夢だったのだ。頭を回して四方を見れば、どこにも客が来た気配など無いし、柴門で犬が吠えてもいない。しかし、よくよく客の話を思い出してみると、単なる夢の出来事と捨て去ることはできない。しかし、覚えておこうと思っていても、話の大半を忘れてしまっていた。忘れた物はどうすることもできない。そこで、昔の中国の物語を題材にして、物語を創作することにしよう。最初に礼のことについて龍を用いて解説する部分は、于王丹麓龍経(おうにろくりゅうきょう)に基づいた物である。鳩が文書を滝城に運び伝える部分は、張九齢の飛奴をまねて創作した。伏姫(ふせひめ)が八房(やつふさ)に嫁ぐのは、高辛氏(こうしんし)が娘を槃瓠(はんこ)という名前の犬に嫁がせる例にならった。その他いくつもある。数ヶ月で五巻を書くが、まず少々この物語の始まりを述べるので、漫然(まんぜん)と八士の列伝を書くのではない。諸々の話を詳細に書くことで、本書の題名を刻んでいこう。私は漫然と話を作るのではなく、この物語に八犬士伝と命名するのだ。
再識(再度、記す)
最初の一集・五巻は、里見氏がどのように安房(あわ)で身を立てたかについて述べる。この物語もまた中国の演義(歴史事実を脚色して面白くしたもの)の書物にある話に似ているので、正式に残されている軍記とはかなり異なっている。さらに、面白そうな言葉や文章、地方の独特の言い回しや話などを混在させているので、とても風変わりな物語になってしまっているかもしれないが、これはもともとこの小説が、そういった性格の物だからである。
この小説の第八回で、堀内蔵人貞行(ほりうち・くらんど・さだゆき)が犬懸(いぬかけ)の里で子犬を拾ったところから始まり、第十回の義実(よしざね)の長女・伏姫(ふせひめ)が富山の山奥に入っていくところまでが、この小説全体の物語の発端となる。しかしながら、最初から最後まで物語の端々まで書かれているので、全体像を見失わないように。そして、二集、三集と進むにつれて、八人の剣士それぞれの物語について書いていこう。さらに、毎年春に次集を出版していき、完成するにはまるまる三年ぐらいはかかると思っている。
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【名夢子解説】
八犬伝の文書構造は、本、巻(集)、回、のように階層化されている。今回は、本文に入るまえの作者(簑笠陳人=曲亭馬琴=滝沢馬琴)の序ではじまる。序は和漢文で書かれており、本文がかな交じり文であるところから、ある程度の教養を持つ大衆向けの作品であることがわかる。内容的にはファンタジー要素が強いように思う人も多いが、むしろ陰陽思想と因果応報という儒教的精神論が色濃く反映されたものだ。この作品が28年かけて出版(108冊)されつつづけたのは、徳川政府にとっても都合が良かったのかもしれない。ただし、作品の時代は室町時代後期であり、儒教思想が、登場する武士達に浸透していたかどうかは疑わしい。なので、「武士ならば潔く」とか「男子と生まれたならば名を上げて、主君の仇を討つ」といった意識は、儒教的思想から誘導されたものだ。28年間出版され続け、ヒットし続けたのは、江戸時代後期の不安に満ちた未来に対して、小説での混乱の中、因果応報、勧善懲悪が果たされる様が、まるで大河ドラマを見るように受けたのだろう。読み手が武家の女性や子に限らず、多くの市民も目にしたという。これは徳川政府が武士の姿として八犬伝に出てくる里見氏をモデルにしたといえるだろう。このあたりの時代背景や、思想なども解説していくことになる
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