セレナーデ | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

ショパンと接点のあった二人、シューベルトとリスト。特にシューベルトは若くしてベートーベンにその才能を認められた人物で、シューベルトもベートーベンを尊敬して、ピアノ連弾曲「フランスの歌による変奏曲」作品10をベートーベンに献呈している。しかし、あまりにも短い人生だった。あと30年生きていれば、もっと素晴らしい音楽が残せただろう。ベートーベンの死去1827年に葬儀に参列した翌年1828年(32歳)に亡くなる。

 

シューベルトは、11歳の時に奨学金を得て、アントニオ・サリエリ配下の寄宿生神学校に進む。こおでモーツアルトの作品に出合い、勉強して室内楽、歌曲の習作を残している。サリエリについては映画の影響もあって悪役のように思われているが、イタリア人で神聖ローマ皇帝の宮廷楽長としてヨーロッパ音楽界の頂点に立っていた人物だ。神聖ローマ帝国が現在のイタリアから北部ドイツまで版図を広げていたのだから、そこの皇帝に仕えるということは、優れた人物だったということだ。またベートーベンやリストも育てており、長生きしてこその教育者の模範、といったところだ。昨日書いたモーツアルトのレクイエムだが、この初演を行ったのがサリエリだ。

 

動画は浅井純さん、2017年ロサンゼルスでの録画。

「白鳥の歌」からシューベルト作曲(D957)、リスト編曲(S.560/R.245:1838-39年)による「セレナーデ」。

セレナーデ(またはセレナード)はドイツ語で恋人をや女性をたたえるために演奏される曲のこと。

 

「白鳥の歌」はシューベルトの死後、友人たちがまとめたもので、生前の歌曲集とは異なる。「歌」なので、作詞家がいる、レルシュタープ、ハイネ、ザイドルの詩人たちだ。レルシュタープは、ベートーベンのピアノソナタ第14番に「月光」と名付けたことで有名だが、実はレルシュタープはベートーベンに詩を送ったはずなのに、シューベルトが作曲していたことに驚くが、このなぜシューベルトにこの詩が渡ったのかは定かではない。ハイネは直接シューベルトに詩を送っていない。どこかの読書会でシューベルトがハイネの詩に出会い、作曲していたことを後に知る。ザイドルはシューベルトの仲間ではあったが、死去前に断絶している。

 

この「白鳥の歌」出版については、生前のシューベルトの借金を返済するという目的があったようだ。先の動画の「セレナーデ」はレルシュタープの詩による歌曲第4番 ニ短調である。マンドリンの伴奏で歌う楽曲だ。なので、ドイツ歌曲というよりはイタリア的な印象がある。リストは編曲にあたり、極力「歌う」ことを心掛けていて、おそらくメンデルスゾーンの「無言歌集」第1巻作品19(1832年出版)に匹敵するようなものを目指していたのかもしれない。