フェリックス・メンデルスゾーン 無言歌集 作品62の6 イ長調「春の歌」 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

メンデルスゾーン(1809年~1847年)、ドイツにおけるロマン派前期に活躍した作曲家・演奏家だ。

この「春の歌」は、メンデルスゾーンのピアノ独奏曲「無言歌集」は8つの作品からなり、それぞれ6曲が収められている中で最も有名な曲だ。メンデルスゾーンおよび姉のファニーの作品については、"The Mendelssohn Project"( http://themendelssohnproject.org/index.htm ) に詳しく書かれている。

 

メンデルスゾーンはピアノ協奏曲4曲、ピアノとバイオリンの協奏曲(ダブル・コンチェルト)も作曲している。有名な「結婚行進曲」は「夏の夜の夢」(1843年作曲)に登場し、本人がピアノ版への編曲も行っているが多くの演奏家や作曲家が変奏・編曲し、現在ポピュラー(ピアニストにとって)なのは、リスト編曲のものをホロビッツがさらにアレンジしたものが演奏されている。ホロビッツ自身の演奏が下の音源。

ホロビッツの変奏は、ロシア的な雰囲気が全くなく、むしろドイツ的歓喜が溢れている。また、中間部の細かな動きなどは、当時(ホロビッツ全盛期)の音楽ムードを表していて、非常に興味深い。

 

閑話休題、メンデルスゾーンに話を戻すと、僕はベートーベンの次に来る世代だと思う。ユダヤ人排斥で彼の音楽はドイツ国内だけでなく、関係していた各国(ユダヤ人排斥運動の強い国々)で貶めらえた。彼の音楽が、大衆迎合のもので、芸術ではないという論調で、彼の死後あっというまに演奏されなくなった。ひどい話だ。そうは言うものの、彼の楽曲に影響を受けた同年代や時代が重なった音楽家は、彼を尊敬し、音楽をさらに、ロマン的に発展させていく。

 

下の動画は、「無言歌集」から「ないしょの話」「ヴェネツィアの舟歌」「春の歌」、演奏は田部京子先生。

この動画でワーグナーがメンデルスゾーンをたたえたというコメントがあるが、これはワーグナーがまだ若いころのこと。メンデルスゾーンを貶めるきっかけを作ったのはワーグナーが匿名でシューマンの「音楽新報」という雑誌に批判投稿したことがだ。このころライプチヒで交響楽団を設立したメンデルスゾーンはライプチヒ音楽界での中心となって尽力した。一方ワーグナーは極貧にあえいでいて、盛んになるユダヤ人排斥運動の片棒を担ぎ、様々な田舎都市での音楽の職を探していたころだ。

 

メンデルスゾーンは祖父の代から築き上げた財力と銀行経営力で裕福で才能にあふれ、人望のある人生を歩んでいた。童話作家のアンデルセンとの交友なども、彼の音楽への影響は大きい。また一番の理解者が姉のファニーだった。ファニーは作曲家・演奏家で、夫のヘンゼルは版画家で著名な人物。ファニーとフェリックスの書簡はとても生々しい。兄弟愛と作曲家としてのライバル心、様々な感情が綯交ぜになっていて、読んでいて理解に苦しむところもある。おそらく共依存だったのだろう。

 

メンデルスゾーンの音楽を聴きならべてみるとモーツアルト、バッハ、ベートーベンなどの匂いがする。これは師事したベルガー(クレメンティの弟子)から古典派を、ツェルターから対位法(ベートーベン、バッハ)を学んだ。ツェルターはJ.S.バッハの息子,W.H.バッハの弟子だ。ゲーテとの出会いも重要だ。心優しく美しい少年と会うことをゲーテは楽しみにしていたという。

 

限られたスペースでは書き足りないが、今夜はスタジオ入りして指慣らしにメンデルスゾーンの無言家のいくつかを弾いていたので、いろいろ思い出して書いた。