山家集 上 秋 第254 山家初秋 & 第1547 (雑十首) | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

なかなか「春」が進まないので、今の季節の秋へ。

第254 山家初秋

さまざまのあはれをこめて梢(こずえ)ふく

  風に秋知るみ山邊(やまべ)の里

(山家集 下 雑十首)
第1047 

さまざまのあはれありつる山里を

  人に傳(つた)へて秋の暮(くれ)ぬる

最初の歌は

様々な想いを込めた(庵の前の梅の木の枝)をふき揺れて、山辺の里では秋風が吹いていると知らせているようだ。

後の歌は

様々な思いが残った山里が、秋も暮れ始めていると自分に伝えているようだ。

といったところだろうか。

どちらの歌も、秋が暮れるのを知り、それを「あはれ」と感じる様が詠まれている。

先と後の歌は、

先:「さまざまのあはれ」~「風に秋知るみ」
後:「さまざまのあはれ」~「人に伝えて」

「知るみ」の「み」は自分自身。また「人に」の「人」も自分自身。

また

「こめて」~「こずえふく」
「ありつる」~「山里」

と心象と風景がオーバーラップしていき、

「こめて」~「こずえふく」~「風に秋」~「知るみ(自分)」~「山里」
「ありつる」~「山里」~「人(自分)」~「秋の暮れ」

と一旦自分自身に焦点をあてたあとに全景を提示するという、西行ならではのスケールの大きな歌となっている。心情はあいかわらず孤独感満載だ。

このような技巧的な歌も、僕は好きだなぁ。

折り句
先:冠:さあこかや 沓:のてくみと
後:冠:さあやひや 沓:のるをてる

先は、「すっかり秋になってしまったのかと、皺だらけの手を組みながら(思案する)」
後は、「すっかり秋が暮れてしまったから、(今から)どこかへ移ろうと思っても難しそうだ」

といったふうによみとれる。

結局の所、先の歌は、庵の畑で秋の収穫をしているときに、風が吹いてそれを「あはれ」と感じた様であり、後の歌は、秋が暮れてすぐにでも冬が来そうだ、冬の準備がまだ終わっていないのに、という自身の気持ちが「あはれ」だ、という歌なのだ。