27 文屋康秀 古今和歌集
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
文屋康秀は平安時代前期の歌人で、六歌仙のひとり。小野小町に惚れていたという話もつたわっている。というのも彼の職種が女官の制服を制作する部署だったからだろう。子の文屋朝康(ふんやのあさやす)も六歌仙で後撰和歌集に勅撰された歌が百人一首にも撰ばれている。僕の番号で38番あたりにでてくるはずだ。
低級官僚で、地方任官も多かったようだが、どこで和歌を学んだのだろうか。ほとんど伝記が無く(あったとしても目にしていない、僕の勉強不足なのだ)よくわからない。彼の父親は大舎人頭だし、代々中務省勤務だったわけだ。だから低級官僚といっても、宮廷内の手足としての官僚だから、様々な事情に通じていたはずだ。その伝で、歌人達とも交流していたのだろう。
古今和歌集での評は、「商人のよき衣着たらんがことし」とされている。「商人」が貫之らにとってどのような位置づけなのかは、不明だが古今集を読む者=貴人とするならば、金で動く、もしくは利益損失に聡い、というイメージだろうか。だから歌は上手に構成できて、その風体は上等な衣をまとった、賢しらな人か。逆に言うと、うまさが技巧的すぎるきらいがある、という評ともとれる。職業上段物商人との交渉も多いわけで、口も計算も上手でなければ仕事をまっとうできないだろう。そういった性格が、歌に表れてしまっていると、貫之は言っているのだ。
さて和歌。この和歌を最初に読んだ時、下句の「むべ」が印象的だった。「むべ」といえば「うむべ」、あけびのことだと思っていたのだが、「むべ」=「うべ」=「宜」=「いかにも」ということを知って、ああ「むべもなく」って「肯定される間も無く」っていう意味で使うな、と心当たる。だから「むべ」は「諾」とも書く。
もう一つ難しいのが上句の「からに」。「から・に」で「から」が準体助詞であることに気がつき、「に」が格助詞だと判じれば、その前の活用語「吹く」を原因として、「からに」の後にその結果が描かれるということがわかる。だから「からに」は「~ので」「~ゆえに」。時制を加えれば「~するとすぐに」といった現代詞になる。
そして、いきなり動詞から入るという方法は、確かに賢しらな人のやることだ。何が吹いたかわからないまま「吹くからに」と読まれるのだ。同じ動詞カ五・活用形では「拭く」「葺く」「噴く」がある。仕事柄「服」も頭に入れておくと、「から」=「故」とかけると、「所詮服衣なのだから毎日来ていれば秋も来るし、匂いもついてしまって、周囲の人々に知られてしまうだろう」といった上句の意になる。
すると下句の「山風」は「かせ」=「桛」で衣を裁縫する際に紡いだ糸を巻き取って、それが山のように摘まれている状態を意味し、「嵐」=「あ・らし」=「ある・らし」で、そういった事がおきるだろう、という予測となる。文屋康秀の仕事を考えて訳してみると、
「秋の冷風も強くなってきて、これまで着てきて夏衣は飽きてもきたし、匂いもついてしまって、人に知られるのは少し恥ずかしい。そういう女官も多く、仕事場では秋衣の準備のために、桛を山のように積み上げなければならないだろうな。この忙しさも、また京の評判になって、商人との取引も増えるだろう。ああ、忙しくなるわい」
和歌で「季節」を詠めば、それは「仕事」へ通じ、「恋」を詠めば「仏」か「帝への配慮」「政争」、「別離」を詠めば「天変地異」「呪詛」、といったものが真情に含まれていると思ってかかっていれば、外れることはない。まぁ、大学受験レベルでここまでの解釈など無用の長物なのだが、古典文学のおもしろみを学校では学ぶことはできないから、本当に今の子供達は可哀想だ。ここで展開している僕の解釈は、僕が高校生の頃から抱いているもので、実際に古典の授業で先生とやりあったものもある。もっとも先生を困らせるために始めた、というのが正当な動機なのだが、あれからずっと面白くて辞められないで、忘れないでいる。だって「君がため~」と詠まれた歌の「君」が誰だかわからないけれど、という仮定付きで現代語訳を教科書で見て先生から聞かされても、面白くないしありあがたくもない。「先生は、自分でわかっていないことを教えているのか?」と詰め寄ったこともある。「き・み」=「貴・御」または「貴・体」だから、自分より気位の高い人、帝しか意味しない。天皇が「君」と言えば上皇(父親)か、政治的に面倒を見てもらっていた摂政・関白・太政大臣で当然妻の父(外戚の父)あたりになる。高校生でもわかる話なのだが、なにしろ僕の国語の先生は歴史が苦手だった。笑っちゃうけど。
この「文屋」も「ふみや」と先生が言っていたのを今でも憶えている。仮名文字「む」を「み」と誤って読んだ、どこかの国学者の誤謬である。
狂歌。
27 詠み人知らず 秋田むがしこ
狂)ぶうつと出て顔に紅葉の置土産(おきみやげ) 余り臭うてはなむけもせず
ある家で、可愛らしい嫁をもらった。三三九度の盃事のあと、嫁はお色直しをして客席に出て、両側に並ぶ客に酌をして廻ったが、どうしたことか、ぶうっ、と屁をこいた。するとすかさず嫁は、この歌を詠んだので、皆は笑うどころか感心したという。
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
文屋康秀は平安時代前期の歌人で、六歌仙のひとり。小野小町に惚れていたという話もつたわっている。というのも彼の職種が女官の制服を制作する部署だったからだろう。子の文屋朝康(ふんやのあさやす)も六歌仙で後撰和歌集に勅撰された歌が百人一首にも撰ばれている。僕の番号で38番あたりにでてくるはずだ。
低級官僚で、地方任官も多かったようだが、どこで和歌を学んだのだろうか。ほとんど伝記が無く(あったとしても目にしていない、僕の勉強不足なのだ)よくわからない。彼の父親は大舎人頭だし、代々中務省勤務だったわけだ。だから低級官僚といっても、宮廷内の手足としての官僚だから、様々な事情に通じていたはずだ。その伝で、歌人達とも交流していたのだろう。
古今和歌集での評は、「商人のよき衣着たらんがことし」とされている。「商人」が貫之らにとってどのような位置づけなのかは、不明だが古今集を読む者=貴人とするならば、金で動く、もしくは利益損失に聡い、というイメージだろうか。だから歌は上手に構成できて、その風体は上等な衣をまとった、賢しらな人か。逆に言うと、うまさが技巧的すぎるきらいがある、という評ともとれる。職業上段物商人との交渉も多いわけで、口も計算も上手でなければ仕事をまっとうできないだろう。そういった性格が、歌に表れてしまっていると、貫之は言っているのだ。
さて和歌。この和歌を最初に読んだ時、下句の「むべ」が印象的だった。「むべ」といえば「うむべ」、あけびのことだと思っていたのだが、「むべ」=「うべ」=「宜」=「いかにも」ということを知って、ああ「むべもなく」って「肯定される間も無く」っていう意味で使うな、と心当たる。だから「むべ」は「諾」とも書く。
もう一つ難しいのが上句の「からに」。「から・に」で「から」が準体助詞であることに気がつき、「に」が格助詞だと判じれば、その前の活用語「吹く」を原因として、「からに」の後にその結果が描かれるということがわかる。だから「からに」は「~ので」「~ゆえに」。時制を加えれば「~するとすぐに」といった現代詞になる。
そして、いきなり動詞から入るという方法は、確かに賢しらな人のやることだ。何が吹いたかわからないまま「吹くからに」と読まれるのだ。同じ動詞カ五・活用形では「拭く」「葺く」「噴く」がある。仕事柄「服」も頭に入れておくと、「から」=「故」とかけると、「所詮服衣なのだから毎日来ていれば秋も来るし、匂いもついてしまって、周囲の人々に知られてしまうだろう」といった上句の意になる。
すると下句の「山風」は「かせ」=「桛」で衣を裁縫する際に紡いだ糸を巻き取って、それが山のように摘まれている状態を意味し、「嵐」=「あ・らし」=「ある・らし」で、そういった事がおきるだろう、という予測となる。文屋康秀の仕事を考えて訳してみると、
「秋の冷風も強くなってきて、これまで着てきて夏衣は飽きてもきたし、匂いもついてしまって、人に知られるのは少し恥ずかしい。そういう女官も多く、仕事場では秋衣の準備のために、桛を山のように積み上げなければならないだろうな。この忙しさも、また京の評判になって、商人との取引も増えるだろう。ああ、忙しくなるわい」
和歌で「季節」を詠めば、それは「仕事」へ通じ、「恋」を詠めば「仏」か「帝への配慮」「政争」、「別離」を詠めば「天変地異」「呪詛」、といったものが真情に含まれていると思ってかかっていれば、外れることはない。まぁ、大学受験レベルでここまでの解釈など無用の長物なのだが、古典文学のおもしろみを学校では学ぶことはできないから、本当に今の子供達は可哀想だ。ここで展開している僕の解釈は、僕が高校生の頃から抱いているもので、実際に古典の授業で先生とやりあったものもある。もっとも先生を困らせるために始めた、というのが正当な動機なのだが、あれからずっと面白くて辞められないで、忘れないでいる。だって「君がため~」と詠まれた歌の「君」が誰だかわからないけれど、という仮定付きで現代語訳を教科書で見て先生から聞かされても、面白くないしありあがたくもない。「先生は、自分でわかっていないことを教えているのか?」と詰め寄ったこともある。「き・み」=「貴・御」または「貴・体」だから、自分より気位の高い人、帝しか意味しない。天皇が「君」と言えば上皇(父親)か、政治的に面倒を見てもらっていた摂政・関白・太政大臣で当然妻の父(外戚の父)あたりになる。高校生でもわかる話なのだが、なにしろ僕の国語の先生は歴史が苦手だった。笑っちゃうけど。
この「文屋」も「ふみや」と先生が言っていたのを今でも憶えている。仮名文字「む」を「み」と誤って読んだ、どこかの国学者の誤謬である。
狂歌。
27 詠み人知らず 秋田むがしこ
狂)ぶうつと出て顔に紅葉の置土産(おきみやげ) 余り臭うてはなむけもせず
ある家で、可愛らしい嫁をもらった。三三九度の盃事のあと、嫁はお色直しをして客席に出て、両側に並ぶ客に酌をして廻ったが、どうしたことか、ぶうっ、と屁をこいた。するとすかさず嫁は、この歌を詠んだので、皆は笑うどころか感心したという。