葬儀社主婦なむ子です。



今日の関東地域はうららかな小春日和ですよ~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


入口から入る日差しでぽっかぽかの事務所です。


ポッカポカです(by縁)
南無なむな日々・・・



これだけの情報社会ですので

『家族葬』という言葉はもはや全国的にも年代的にも

浸透してきた感がありますね。


ただ、昔と同様の勘違いなのが「密葬」と「家族葬」を

混同されている方が多いことでしょうか。


葬儀のイメージとして・・・


大型葬といえば『社葬』ですね、


中くらいの規模が『一般葬』、


で、小規模葬儀が『家族葬』と『密葬』。その両者のうち、


家族葬 > 密葬


『密葬』のほうがもう少しダークなイメージというか

ほんとうに秘密裏に、ひっそりと行う葬儀というイメージでしょうか。


『密葬』=『火葬のみ』という感覚をお持ちの方も多いと思います。



どれもイメージとしては間違いではないのですが

『密葬』には明確な定義があるのですよ。

(以下、Yahoo!辞書を参照します。)


みっ‐そう〔‐サウ〕【密葬】
みっそう」を大辞林でも検索する

[名](スル)ひそかに死者を葬ること。特に、身内だけで内々に葬式をすること。また、その葬式。「親族だけで―する」→本葬

密葬は身内だけで簡単な葬儀を行い火葬も済ませること。後日、死亡通知を出し本葬を行う。著名人にこの形式を執ることが多い。家族葬 は小規模であるが本格の儀式である。近年、家族葬も密葬との勘違いが広まっている。


ね、


後日、本葬やお別れ会を念頭に置いたものが『密葬』です。


まぁまぁ、固いこと言わないでもいいじゃないか、

家族葬でも密葬でも意味は通じるんだし、

別に「密葬でやりました」って言ったとしても

誰も「じゃ本葬はいつ?」なんて聞きやしないでしょ?


っておっしゃられれば、その通りです。


あえて、この言葉ばかりが独り歩きしている現状を鑑み

指摘したことですので。。。


知っていて使うのと、知らないで使うのでは

大きな違いはありますけどね。



ちなみに、「家族葬」という言葉でおもしろいのは、


最近、創価学会さんの葬儀もまた「家族葬」が増えてきたことですね。


ご存知のように学会さんの葬儀は、

以前は日蓮正宗の僧侶が導師を勤めましたが

2000年以降に独立した宗教団体としての方向性を打ち出してからは

どちらかというと仲間(=友人)が集まって

いっしょに読経・唱題する供養の形が中心となりました。


「葬儀に僧侶は必ずしも必要ない」

という考え方はありますが

必ずしも僧侶を排除するものではないので

お寺さんを呼ばれる学会員さんもいらっしゃいます。


とはいえ学会さんの葬儀といえば「友人葬」で通用するほど

たくさんの方が参列に見えて読経・唱題される光景があり、


地域性、または日々の活動の熱心さによっては

式場に入りきれないほどの仲間が集まることもあるようです。


ですが・・・。


先日言われた言葉で、

「あら?学会以外にも『家族葬』って使うの?」

というのが印象に残りました。


あぁ・・学会さんで家族葬、っていうことは

友人を呼ばず、僧侶も呼ばず、ご家族の供養だけで

葬儀を執り行うことなんだな、と。


一般で言うところの『家族葬』とはまた

やや違った意味合いの葬儀だな、と。



同じ言葉でも、外からは見えない違いがあるのだと思いました。



※話は逸れますが。


今は『家族葬』や『火葬のみの葬儀』を選ぶ方でも

まったく、心から、真摯に「無宗教で!」と強いこだわりを持って

宗教者を呼ばない葬儀を行う方はほんの数%だと思います。


多くは費用の問題に引っかかりを感じていたり

華美な式になることを避ける意味で

司式者を呼ばないケースのほうが多いのだと思います。


そんなときに葬儀社の用意した「家族で無宗教葬プラン!」じゃなく

家族で用意したお経なりを、心を静かにさせて、一緒に読経するというのは

なかなか意味深い時間になるのではないでしょうか。


よくあるのは『般若心経』ですけれど、


親御さんを送る方は『父母恩重経』などが趣深いように思います。


曹洞宗の葬儀で耳にすることのある

「生を明らめ死を明むるは仏家一大事の因縁なり・・・」

の修証義もわたし個人としては興味深いお経です。


浄土真宗さんでは特に「御文章」と呼ばれるもの(=白骨の章)

の中の言葉のひとつひとつに考えさせられるところがあります。


お経の中でも法華経などは、生きる苦悩というか、

生活に密着した内容が随所にあるような気がして

自分がどうしたらいいのだろう、と思うようなときに

ひも解いてみたいお経かもしれません。



よく聞くのは、神道の、氏子さんが

「かけまくもかしこき・・・」を聞くと自然に涙が出てくる、の例えのような

耳にする、口にすることで自然と心が反応するような

何か自分にとって大切な言葉なりお経などがあることは

大切なことですね。