葬儀社主婦なむ子です。
あたたかくなると、縁(えん/チワワ)が膝に来る確率が減ります。
お店の入口のマットの上で“お外ウォッチング”をしています。
ワンの目、ってどんなふうになっているのでしょうね。
「ウー、ワンワンワン!」と吠えることもありますし
「ニャンニャン(?)クゥ~ン・・」と甘えた声を出すこともあります。
縁なりにお気に入りの人だったり
気に食わない人だったりへの反応なのでしょうかね?
さてと。
葬儀を通して、家族の有りようも変わってきたなと思うことがあります。
もちろん(いろんな家族がいるものだなぁ~)と思うことは
この業界に入ったときから多々あったわけですが
最近とみに感じるのは
(以前はなかったような家族模様があるなぁ~)ってことですね。
ちょっと話は変わりますが、
家族はね、十人十色その家々のカラーがあって
だからこそ葬儀もひとつとして同じものはない!
と言われて当然なのですが
なんだか、近年変に画一化された感がありますよ?
自宅葬が主流の時代は、式場からしてもう、
お宅お宅でひとつとして同じものはない環境設定でしたから
同じような式次第でも「●●家」の葬儀は
「●●家」のものでしかありませんでした。
ホール葬、斎場葬が主流になってきますと
これはあれですね、隣の式場に間違って弔問に行っても
遺影写真を見てお焼香するまでそのことに気がつかないとか・・・。
昔は葬儀の豪勢さがその家の格付け的な意味合いもありましたが
今はもう葬儀にお金をかけない時代ですので
みな一律、似たような葬儀パックを選んで
遺影写真だけ取り換えるというような式でも
金額が見合えばOK、と考える方も多くなっているようです。
オリジナル葬という考え方と二極化されていますよね。
で、話を戻しますが。
以前葬儀人材で入った式で強烈だったはなしに、
「故人をめぐって親族側と愛人側がパッカリ二分され
最後は遺骨の取り合いで収骨所でもめた!」
というものがあります。
結局は故人の長男さんが遺骨をもぎ取るように持って帰ったのですが
こういう修羅場って・・・ややひと昔まえっぽいエピソードですよね。
最近は、逆に愛人さんのほうが式を挙げてくれるなら
それにお任せして遺族はノータッチ、お骨もそちらでなんとかして!
という話を続けて聞いたことがありますので
こちらのほうが今っぽいかもしれません。
今のご家族はお骨に対するこだわりが
ある意味薄くなってきているといえるのかもしれませんね。
「勘当した」、「勘当された」、という内情をお持ちのご家庭は
今も昔も比較的耳にするところです。
それでも以前は親が危篤になれば駆けつけて
親の死に目にだけは立ち会うことが親子の義理でもありました。
今はね、ご遺体を搬送して、葬儀の打ち合わせをして
葬儀をして、葬儀が済んで初めて
「実はもうひとり子どもがいるんだよねー。
今頃どこでどうしているんだか・・・。」
∑ヾ( ̄0 ̄;ノあれー!?お宅も・・なんですか?
ってぐらい、
親子兄弟で消息不明のご家庭が多いのです。
確かに年間の行方不明者って多いそうですけど
本当に親の死に目にすら連絡がとれない状況のご家族を見て
それを実感します・・・(;^_^A
葬儀社の立場で申し上げれば
どんなに家族関係がドライになったとしても
おひとりおひとりの心情はそうではない、と信じたいところです。
葬儀社という仕事を選んだ方であればお解りになると思いますが
葬儀社のやりがい、って実はそういうところにありますよね。
式を施行して「ありがとう」といわれる言葉や
参列した人々の心に強烈な感動をあたえた満足感などは
実は二次的なものであって
多くの葬儀社さんは、ご家族からいただく「故人を想う心」が
一番の励みなんだと思うのですよ。