せッしゅしんこうじょうしょうご

攝取心光常照護(摂取心光常照護)

攝取心光…他力信心の人を摂め取ってお護りくださる阿弥陀仏の光明。

常照護…摂取不捨の光明が、常に照らして護ってくれている。


いのうすいはむみょうあん

已能雖破無明闇

…はなはだ。

〜いえども。〜ではあるけれども。

無明暗…仏智(仏の智慧)の明るさに対し、煩悩の闇に覆われているから「無明の闇」という。


とんないしんぞうしうんむ

貪愛瞋憎之雲霧

貪愛瞋憎貧欲(非常に欲が深く、満足する事がない。)と瞋恚(怒り、憤ること。怨み憎む事。)の二つの煩悩。

雲霧煩悩を譬えて言う言葉。


じょうふしんじしんじんてん

常覆眞實信心天(常覆真実信心天)

眞實信心天…阿弥陀仏に救われた人の心。

常覆…常に覆っている。




ひにょにッこうふうんむ

譬如日光覆雲霧

…たとえ。

日光…阿弥陀仏の光明。


うんむしげみょうむあん

雲霧之下明無闇

無闇闇がない事。


ぎゃくしんけんきょうだいきょうき

獲信見敬大慶喜

見敬…名号のいわれを聞いて、信を得て法を敬い深く心によろこぶこと。

慶喜深くよろこぶ事。


そくおうちょうぜッごあくしゅ

卽横超截五惡趣(即横超截五悪趣)

横超…本願の働きによって、横さまに迷いの世界を超えて、真実報土に生まれ無上涅槃をさとる事。

五悪趣…凡夫がそれぞれの行為によって趣く五つの迷いの世界。



一つひとつの言葉の意味を繋げると…


攝取心光常照護(せッしゅしんこうじょうしょうご)

全ての命を摂め取る阿弥陀仏の大慈悲の光は、常に私たちを照らして護ってくださる。

已能雖破無明暗(いのうすいはむみょうあん)

その光によって、既に無明の闇は破られているのだが、

貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)

貪りや怒り、憎しみといった煩悩が雲や霧のように湧き起こり、

常覆眞實信心天(じょうふしんじしんじんてん)

真実の心の空を覆っているのです。


譬如日光覆雲霧(ひにょうにッこうふうんむ)

例えば日光が雲や霧に覆われたとしても

雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)

雲や霧の下は明るく、暗闇ではないように、

獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)

信を得て法を敬うと、心に大きなよろこびが湧き起こる。

卽横超截五惡趣(そくおうちょうぜッごあくしゅ)

その時直ちに本願の働きによって、迷いの世界との結びつきが断ち切られて目覚める。


私なりにまとめた意味は…


「全ての命を受け止めてくださる阿弥陀如来様のお心の輝きは、いつも私たちを照らし護ってくれています。その輝く光によって、暗闇は既になくなっているのだけれど、怒りや憎しみが、空の雲や霧のように私たちの心を覆っていて、真実が見えなくなってしまいます。

でも、たとえば太陽が雲や霧に覆われたとしても、その下が明るいように、阿弥陀様の本願の成り立ちを聴いて信じて敬えば心に大きな喜びが湧き起こってくるのです。そしてあっという間に迷いの世界との結びつきが絶たれるのです。」


これから先、もっといろんな本を読んで勉強したら解釈が変わるかもですが…これが今の私の精一杯です。