正信偈の解読をしていて、「分陀利華(ふんだひけ)」の意味をネットで調べていて目にとまった龍谷山本願寺(お西さん)の御法話を書き留めたいと思います。

大正から昭和にかけて活躍した童謡詩人「金子みすゞ」さんの作品に「蓮と鶏(はすととり)」という詩があります。

ピンクの蓮の花の写真しかなかったです…。



「蓮と鶏」

泥のなかから 蓮が咲く。
それをするのは 蓮じゃない。

卵のなかから 鶏(とり)が出る。
それをするのは 鶏じゃない。

それに私は 気がついた。

それも私の せいじゃない。


 あたりまえだと思っていることが、本当はあたりまえではなく、実はすごいことなんだと気づかせてくださる、素敵な詩です。

 仏教では、私たちが「南無阿弥陀仏」のお念仏を称える姿を、泥の中から白い蓮の華が咲く様子に例えられます。
泥のようにドロドロとした煩悩を抱える私たちに、手を合わせお念仏申すという仏道を歩む姿が生まれている。その姿をお釈迦さまは白い蓮華の華「分陀利華(ふんだりけ)」だと喜ばれたと説かれています。

 しかしそれは金子みすゞさんが「それをするのは 蓮じゃない」と言われたように、私たちが頑張って仏道を歩もうとした結果生まれたのではありません。そうせしめるような様々なご縁やはたらきがあって初めて私の手が合わさったのではないでしょうか。

 そのはたらきに気づかせていただくのは、例えば先立って命終えて行かれた大切な方との別れかもしれません。もし大切な方との別れがなければ、煩悩に振り回される私は手を合わせることも、お念仏申す事も、仏教に出遇うこともなかったかもしれない。
そして大切な方との別れに導かれ、阿弥陀如来の「すべての人を、命終えた時にわが国浄土に生まれさせ、仏にしたい。だからどうか私の名前を呼んでほしい、南無阿弥陀仏と称えてほしい。」という願いが私にはたらき、泥の中から蓮の華が咲くように、私の上に手を合わせ、お念仏を称える姿が育てられてきたのです。

 仏さまの前や、お墓参りの時に当たり前のように手を合わせ念仏称える私ですが、それは決して当たり前のことではなく、多くのお育てがあって初めて生まれた尊い営みなんだと、泥の中から咲く蓮の華の姿に思わせていただきます。


正信偈の今を知りたいと思ったきっかけは、昨年亡くなった父の月命日で実家の御住職様のお経を一緒に称えるようになったからです。
父の死以前から、お仏壇に手を合わせることは当たり前と思ってはいたけれど、父の死がなければより深く阿弥陀如来の教えを深く知ろうとは思わなかったと思います。
まだ阿弥陀如来の「全てを救う。」に納得がいかない私だけれど、きっと答えは見つかるのだろうと思っています。