今回の法語である。


『 散りぬべき 時知りてこそ



  世の中の 花も花なれ 人も人なれ



                細川ガラシャ    』  75枚



戦国時代、非業の死を遂げた細川ガラシャの辞世の歌。

1998年、細川ガラシャの子孫である細川護煕(もりひろ)首相が、

議員辞職の際にこの和歌を引用し、自らの心境を代弁させた。


小泉純一郎前首相も、2006年4月の「桜を見る会」でのあいさつでこの歌を引用し、

「花はいつも咲いてちゃきれいじゃない。ぱっと散るからきれいなんです。

 私も引き際、散り際を大事に、職責から逃げることなく頑張っていきたい。」

と、在任中最後の観桜会を締めくくった。

引き際の美しさによって永遠に国民の記憶と歴史に名を留めたいという、

そんなナルシシズムが浮かび上がってくる。


最近の引退劇では、5代目三遊亭円楽師匠が話題になった。

なにしろ「天声人語」にまで取り上げられたほどだから、

その引き際はあっけないほど見事だった。

正統派江戸落語の噺家が、トリの大ネタで呂律が回らなかったのだから、

潔く辞めたくなったのは理解できる。

幾つになっても地位にしがみついている人が、

政財界から寺院まで多いだけに、皆がグッと来た。

でも、引退をやたら悲愴な雰囲気で語らなくても良かったのでは?

お客さんの前で落語をやらないというだけで、亡くなった訳ではない。

こういう場合は引退ではなく、隠居といえばいいんじゃないかなぁ。


【天声人語】2007年02月27日(火曜日)付

神谷幸右衛門。落語の「大仏餅」は、しゃべり慣れた演目なのに、その名前が出てこない。「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」

昭和の名人といわれた八代目桂文楽が高座で絶句したのは1971年で、以後高座にあがることはなかった。精巧で、寸分の狂いもない芸を極めた文楽だが、晩年は、高座で絶句するという恐ろしい日に備えて、あのわび口上のけいこまでしていたという(『日本人の自伝』平凡社)。

三遊亭円楽さんが、高座で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」。一昨年に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて高座に戻ってきたのに、残念なことだ。

「お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」。一時代を担ってきたという誇りと芸への厳しい思いがにじむ。

「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさむ事」と、世阿弥の「風姿花伝」にある(『日本思想大系』岩波書店)。多くの人を楽しませ、感動させることが芸能の目的だとすれば、円楽さんもそうした芸のために才を磨いてきたのだろう。

世阿弥は、50歳を超えたら「何もしないこと以外には手段もあるまい」とする一方で、52歳になった父観阿弥の舞台が「ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり」とも記した。円楽さん特有の花が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。



どのようなものにも役目はあるもので、その役目を果たせなくなった時が辞め時である。

また、神仏から与えられた「業」というものがあるのなら、その業を果たした時が死ぬ時である。

花の散り様や動物の死に様に感銘を受けるのは、

命ある間は懸命に生き、死ぬべき時が来たら潔く死を受け入れる、

その姿が、我々人間には到底真似が出来ないからだろう。


自分自身で「痩せ我慢だなぁ。カッコ付け過ぎだなぁ。」と思えるぐらいが、

傍目には丁度良い頃合いなのかも知れない。


株式相場の格言 『 もうはまだなり まだはもうなり 』