今回の法語である。


 

『 「必死、すなわち生くるなり。」



 “死ぬ気で”ってことは



 “生きるぞ”ってこと。



             木村拓哉   』 59枚










死ぬ覚悟で、命懸けで、全力を尽くすことこそが、『生きること』。


2007/1/1の朝日新聞にて、

木村拓哉氏が自身の「ヒーロー観」について語っていたので紹介したい。





 子供の頃のヒーローは、それこそ仮面ライダーからウルトラマンまで。

彼らを目指して遊んでいた。こけりゃ痛いし、擦り傷をつくって血も流す。

一方で、テレビのヒーローは倒されても「命がもう1つある」みたいによみがえる。

そういうゲーム感覚のヒーローには、いつのまにか感情移入がしにくくなった。

 今は子どもの周囲にヒーローが圧倒的に少ない。そんな中、僕自身、

ヒーローと、創作という仕事の中で向き合うことになっていった。

実生活ではヒーローがいなくても、見ているだけで共感したり高揚感を

与えてくれる創作上のヒーローを大切にしたい。





 今、山崎豊子さん原作ドラマ「華麗なる一族」(TBS系)のドラマに取り組んでいる。

原作に出てくる主人公の1人、鉄平の命への姿勢には、疑問を感じた。

「自殺」や「自決」といった選択は自分は認められない。

 去年末に公開された映画「武士の一分」(山田洋次監督)。

あの中で忘れられないことばがある。「必死、すなわち生くるなり」。

僕は、この言葉に今、僕らが置かれている様々なことを感じた。

 とりわけ、「生きる」。「必死」とか「死ぬ気で頑張ります」ということと、

「生きる」ってことばは一見、矛盾している。だいたい、

「必死で死ぬ」なんてことはできないし、そんな人もいないはずだ。

「必死」って言葉は、生きるためにある。

 愛する妻が受けた卑劣な行為への無念をはらすために、

盲目になった三村新之丞、命をかけて生を求めていく。

脚本を読み、演じながら、「必死」という言葉がとても重くのしかかり、

「そこを目指して突き進むってことの重さ」を強く感じた。





 身体にも心にも汗をかくってことを忘れたくない。最近は、

「弱いやつがより弱い者をみつけていたぶる」なんていうのが目立つ。

本当に強いやつはそんなことはしない。世の中、便利になる一方、

心の筋力が弱くなっていないか。

 ヒーローって言葉は、今では恥ずかしいとか格好悪いといった

イメージすら伴いかねない。でも、本当は大事な言葉だ。

誰かを「ヒーロー」と呼ぶ前に、自分自身がそうでありたいと思うことが大事。

 ヒーローとは、守りたいもののために、必死で汗をかき続けられる

生き方のことを言うんじゃないか。  』