金王八幡宮の金王桜は、源頼朝が鎌倉の亀ヶ谷の館(現在の壽福寺)から移植させた桜と伝えられています。
金王八幡宮の社名は、頼朝の父義朝に仕えた金王丸にちなむもの。
1189年(文治5年)の奥州征伐の際、金王八幡宮に立ち寄った頼朝は、金王丸を偲んで義朝の亀ヶ谷の館から憂忘桜を移植させ「金王桜」と名付けたのだとか。
八重と一重が混生する珍しい桜で、江戸三名桜の一つに数えられてきました。
恒例の「金王桜まつり」は3月28日(土)・29日(日)。
28日(土)には、金王丸尊像が開帳されます。
屋台物販等の出店・飲食スペースや神楽殿での催しも。
狩宿の下場ザクラは、1193年(建久4年)、富士裾野で巻狩りを催した源頼朝が入御したという井出家前に聳えるヤマザクラ。
頼朝のもとを訪れた御家人たちが馬から下りた場所といわれ、頼朝が馬を繋いだ桜とも伝えられていることから「駒止の桜」とも呼ばれています。
国の天然記念物で日本五大桜の一つ。
恒例の「狩宿さくらまつり」」は4月4日(土)・5日(日)。
地元特産品の販売やお茶席・舞台公演などが催されます。
参考までに・・・
富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討ちをきっかけに、謀反を疑われた頼朝の異母弟・源範頼の伝説が残された桜が埼玉県北本市の石戸蒲ザクラ。
狩宿の下場ザクラとともに日本五大桜の一つに数えられています。
『鎌府勝景』(けんぷしょうけい)は、鶴岡八幡宮再建の際に作事方の役人として鎌倉に滞在していた海老原利啓が描いた写生図で、江戸時代後期の鎌倉の景観(勝景)を今に伝える貴重な史料。
極楽寺塔頭吉祥院門前の千服茶臼・星月夜井側の坂ノ下の高札場・鶴岡八幡宮寺の供僧坊(二十五坊)など、当時の風物を細かく伝えています。
2026年(令和8年)、鎌倉市の文化財に指定。
坂ノ下の虚空蔵堂の下のある星ノ井は鎌倉十井の一つ。
別名を「星月夜井」。
側には高札が掲げられています。
坂ノ下の虚空蔵堂の下のある星ノ井は鎌倉十井の一つ。
別名を「星月夜井」。
側には高札が掲げられています。
1191年(建久2年)、源頼朝は「供僧二十五口の制」を定め、鶴岡八幡宮の裏山(御谷)には僧坊が置かれました。
鎌倉幕府滅亡後は七坊までに減少し、1593年(文禄2年)に徳川家康が五坊を復興して十二坊となりますが、1868年(慶應4年)の神仏分離令により廃絶しています。
※上の画像は鎌倉市HPより
極楽寺塔頭吉祥院門前の千服茶臼・星月夜井側の坂ノ下の高札場・鶴岡八幡宮寺の供僧坊(二十五坊)など、当時の風物を細かく伝えています。
2026年(令和8年)、鎌倉市の文化財に指定。
坂ノ下の虚空蔵堂の下のある星ノ井は鎌倉十井の一つ。
別名を「星月夜井」。
側には高札が掲げられています。
坂ノ下の虚空蔵堂の下のある星ノ井は鎌倉十井の一つ。
別名を「星月夜井」。
側には高札が掲げられています。
1191年(建久2年)、源頼朝は「供僧二十五口の制」を定め、鶴岡八幡宮の裏山(御谷)には僧坊が置かれました。
鎌倉幕府滅亡後は七坊までに減少し、1593年(文禄2年)に徳川家康が五坊を復興して十二坊となりますが、1868年(慶應4年)の神仏分離令により廃絶しています。
※上の画像は鎌倉市HPより
1180年(治承4年)8月、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、相模国へと進軍しますが、石橋山の戦いで大庭・伊東の連合軍に大敗。
土肥実平の手引きで土肥山中に逃れた頼朝は、8月28日、安房国で再挙するため、真鶴の岩海岸から船出します。
伝説によると・・・
頼朝を乗せた船が海上へと漕ぎ出したところへ、追ってきた大庭の軍兵が船を発見。
追手は浦人に
「あの船は槍などを持っているようだが何だ」
と尋ねますが、浦人が
「あれは鮫追船で、鮫が出て漁のさまたげになっているので、それを退治するため船です」
と答えると、追手はその言葉を信じて引き揚げたため、頼朝は難を逃れることができたのだとか。
のちに全国を制した頼朝は、浦人の功労を賞して岩海岸の鮫追船三艘の船役を免除。
その特権は江戸時代まで続いたのだとか。
後北条氏も頼朝にならって船役を免除。
真鶴町には1581年(天正9年)に与えられた鮫追船の新造諸役免除の朱印状が伝えられています。
2026年(令和8年)3月22日(日)、岩海岸では源頼朝旗挙祭が開催されます。
土肥実平の手引きで土肥山中に逃れた頼朝は、8月28日、安房国で再挙するため、真鶴の岩海岸から船出します。
伝説によると・・・
頼朝を乗せた船が海上へと漕ぎ出したところへ、追ってきた大庭の軍兵が船を発見。
追手は浦人に
「あの船は槍などを持っているようだが何だ」
と尋ねますが、浦人が
「あれは鮫追船で、鮫が出て漁のさまたげになっているので、それを退治するため船です」
と答えると、追手はその言葉を信じて引き揚げたため、頼朝は難を逃れることができたのだとか。
のちに全国を制した頼朝は、浦人の功労を賞して岩海岸の鮫追船三艘の船役を免除。
その特権は江戸時代まで続いたのだとか。
後北条氏も頼朝にならって船役を免除。
真鶴町には1581年(天正9年)に与えられた鮫追船の新造諸役免除の朱印状が伝えられています。
2026年(令和8年)3月22日(日)、岩海岸では源頼朝旗挙祭が開催されます。































