こんにちは!ハヤタです。 


さて、今日の話は、「今・ここに生きる大切さ」について、以下に、皆さんと考えていきたいと思います。


私たちは、子供の頃から、知らない内に、教育という名(大義)の元に、学校や親などの外の社会(世界)から、マインドコントロール(洗脳)を受けて生きています。

 

その教育の中で、「私たちの人生の幸せ」の最大の障害になっている、強い観念(考え)があります。

 

あまりに、子供の頃からの教育で刷り込まれているので、私たちの表層意識では気がつけない、潜在意識深くまで浸透している観念(考え)です。

 

では、一体、その「考え」とは何でしょうか?

 

それは・・・

 

「今は不幸で苦しくても、今を我慢して、努力して頑張れば、未来には、必ず幸せが待っている」

 

です。

 

下の図を見て下さい。

 

親や社会が、常識として教えてくれるのは、図1の考え方です。

 

「今は不幸で苦しくても、今を我慢して、努力して頑張れば、未来には、必ず幸せが待っている」

一方で、下の図2の様に、いつ来るか分からない未来ではなく、「今・ここ」に幸せを感じて、輝いて生きている人たちも沢山います。

皆さんも、学生時代は、図1に示すように、よく学校の先生や周りの大人(親)たちに、耳にタコができるぐらい、次のように、何回も言われたんじゃないでしょうか?

 

「今、大変で、苦しくても、努力して苦労すれば、必ず未来は幸せになれるよ」

 

「だから、今は、嫌でも我慢して、頑張るんだよ」


と・・・

 

この考え方は、幸せを「今」ではなく、「遠くの未来」に設定するのが特徴です。

 

もっとシンプルに言えば、「今を✖️(バツ)」とし、「未来を○(マル)」とする生き方です。

 

私は、この大人たちの言葉に、小さい頃から、強い反発と疑問を感じていました。

 

「なぜ、今苦しまないと、未来に幸せが来ないの?」


と・・・

 

おそらく、教育者(支配者)側の大人たちも、子供の頃から、刷り込まれた考えなので、当たり前過ぎて、自分たちも、洗脳されている事に気がついていないのでしょう。

 

この考えは、歴史的にも、権力者により、支配構造の中で、上手く利用(悪用)されて来ました。

 

特に、宗教は、長い歴史の中で、政府や権力者などの支配者が、民衆を都合よくコントロールするための道具として、利用されて来ました。

 

時の支配者(王・政府)たちが、自分達の利益のためだけに、「宗教の教え」を上手く利用して、民衆の不満、怒りを抑えるために、この考え方(原理)を悪用して来たのです。

 

もちろん、昔だけでなく、現在も利用されています。

 

では、具体的には、宗教(神)の教えを、どのように利用して、民衆を洗脳してコントロールして来たのでしょうか?

 

それは・・・

 

「たとえ現世(今)は苦しくても、神を信じてお祈りしていれば、死後(未来)は、天国に行ける」

 

です。

 

これは、まさに、「今を✖️(バツ)」とし、「未来を○(マル)」とする生き方です。

 

この考えを強く信じさせれば、現実の苦しみがあっても、「死後への希望」を見い出し、民衆からの政治への不満や反乱が起きません。


たとえ、起きたとしても、最小限で抑えられます。

 

つまり、この「考え」を政治的に利用すれば、独裁者による理不尽な苦しみに対する「不満・怒りの感情」を、民衆に我慢させる事ができるのです。

 

(私は、決して、宗教の「死後の魂の救い」を否定するつもりは全くありません。ここでは、宗教や教育が、私利私欲を目的として、政治利用されている現実を否定しているだけです)

 

同じ考え方(原理)が、家庭や親子の単位(関係)でも当てはまります。

 

「今、大嫌いな勉強をすれば、後でご褒美として、おやつに美味しいケーキをあげるね」


など・・・

 

つまり、


「たとえ、今は不幸せでも、未来には幸せが待っているんだよ」


と、親は、子供に、そう教えます。

 

そうして、子供を自分の思うようにコントロールしようとします。

 

そんな親自身も、親や社会から、そう教わって来たので、自分が子供を洗脳しているなど、露ほども思っていません。

 

このケースも、「今を✖️(バツ)」とし、「未来を○(マル)」とする生き方です。

 

では、本当に、親や社会の大人たちが言うように、


「幸せな未来を求めるのに、今を犠牲にする必要があるのでしょうか?」

 

もちろん、答えは、ノーです。

 

未来を幸せにするために、今を不幸せにする必要は、全くありません。


では、私たちは、今を、どう受け入れたらいいのでしょうか?


それは・・・



「今が、幸せ!」



です!

 

終わり!^_^

 

本当は、これだけでいいのです。

 

なんなら、おまけに・・・


「未来も幸せ」


なら、尚いい!

 

これは、「今は○(マル)」「未来も○(マル)」という生き方です。

 

これだけの話です。

 

人生(神様)は、先ほどの図2で生きる生き方が、本当は、みんなにも出来るし、既に用意されている事に、気づいて欲しいのです。

ここで、「栗ようかん」の話を例に、違う視点から、ご説明します。

 

では、下の「栗ようかん」の図3を見て下さい。

一番右端には、大好きな「一番大きな栗」が入ってます。

 

しかし、一番右端に至るまでには、最後の栗ほど大きくなくても、途中の過程で、ところどころに、ご褒美のように、「小さな栗」がたくさん散りばめられています。

 

この「栗ようかん」を左から順番に切って食べて行きます。

 

この場合、今日の話に例えるなら、時間が、左側から右に流れ、左側が「今」、一番右端が「未来」です。

 

栗が、あなたにとっての「幸せ」に当たります。

 

ところで、皆さんは、この「栗ようかん」の例えで言えば、最後の「大きな栗」(大成功)にたどり着くまで、幸せになっちゃいけないと思い込んで、「今・ここ」で我慢ばかりしているのではありませんか?

 

・・・

 

それじゃ、長い人生、息切れしちゃいますよ(笑)

 

未来に向かう途中段階の今でも、今ある「小さな栗」(幸せ)が沢山、あなたの周りにあるはずです。


 私たちは、まだ来ていない「未来ばかりを見ているから、今、既にある「小さな幸せたち」に、気がつけないのです。

 

私たちは、「今・ここ」に散りばめられている、「既にある栗」(幸せ)を、味わい、楽しみながら、未来に向けて生きて行く道も、選択できるんです。

 

だからこそ、いつか来る未来ではなく、今、幸せになって下さい!

 

極端に言えば、未来の事は「未来の自分」が、その時が来れば、しっかり考え対処してくれます。

 

「未来の自分」を信頼して、未来の事は、「未来の自分」に全て任せましょう!

 

私たちの人生を幸せに導いてくれる「扉の鍵」は、決して、過去や未来にあるのではなく、「今・ここ」にこそ、隠されていると思います。

 

さあー皆さん!!

 

「今・ここ」を完全に生きる事で、その鍵を見つけに行きましょう!^_^

 

では、今日の話は、この辺で終わります。

 

長くなりましたが、最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。

 

また、次の機会に、お会いしましょう!