ケビンについてついてみようと思う。
今日は久々に自分だけの時間がたっぷりあるので、ゆっくりじゃなきゃ書けないな、と心の中に留めていたことを書いておこうと思う。
2011年10月3日バイロンベイの友人ケビンが死んだ。
大腸がんと宣告されてすぐに亡くなったようだ。家族に看取られた最期はとても穏やかだったと聞く。
半年ほど前最後にバイロンベイで会ったときのケビンはそれはそれは元気だった。
東日本大震災のチャリティーイベント、Concert for Japan
はケビンなしには絶対に成し遂げられなかったイベントで、その準備と後処理のために、出会ったころから変わらないその細い体でそこら中を走り回っていた。
ケビンはバイロンベイのオッサン友達の中でも大人なしめのキャラで、気がつくといつも静かに誰かの後ろに立っていた。
バイロンベイに常にいると言う訳ではなく、ビクトリア州とバイロンをまたにかけ、「あれ、最近ケビンを見かけないね?」と聞くと、「今はまたビクトリアに戻っているよ。」というのが常だった。
強烈キャラの多いバイロンだけに、その強烈なキャラ同士ぶつかることも多く、ハーシャやマークとモメたりするとケビンに愚痴る人は私だけじゃなかったはずだ。
電話で長話をしたりとか、頻繁に連絡を取ったりとか、そんな仲ではなかったけれど、ケビンは私が助けを求めれば快く助けてくれるそんな家族のような仲間の一人だったと思う。
バイロンベイから日本へ引っ越す前日は、ケビンのバンで街と家とを何往復もしてもらった。
嫌な顔一つせず、車の中で人生について、子供について、結婚について、ケビンの人生を狂わせてしまった交通事故について、随分と語りあったものだ。
ケビンとハーシャの二人から、日本へ行く前日バイロンベイ地区のアボリジニ、バンジャランの民に頼んで作ってもらったというジュエリーケースをもらった。
まだ作ってもらったばっかりで、ニスの匂いがした。
すぐにテンパるハーシャや、キレるマークと違って、ケビンは冷静沈着でいつもフェアな人だった。
娘も大分遊んでもらった。よく私がスーパーに買い物に行くときなんか、「ちょっとだけ面倒見ててね」と娘を置いていったものだった。
私にとってのバイロンベイの友人は、何年たっても同じ場所に行くと、同じ笑顔で迎えてくれて、私がナチュロパスだろうと、営業部長だろうと、プータローだろうと変わらぬ愛を持って接してくれる、そんな人生の家族のような存在だ。
昨年の12月はそんな仲間の一人、スパイク
も若くしてインドのゴアで死んでいった。
仕事帰りの電車の中で、メールでその知らせを聞いて、満員電車の中で涙が止まらなかったのを覚えている。
世界中を放浪していても、いつかバイロンで再会できるから、いつも別にお別れは悲しくなかった。
「みんな死んじゃうんだね。」とバイロンベイのマブ達エミ嬢は言った。
そうだね、みんな死んじゃうんだね。
死は必然的、絶対的なもので、次の世代に場所を明け渡すための必要なプロセスで、誰にしもいつかは訪れるものだけれども、それがいつかというのは分からず、その日が突然やってくることもある。
だから愛する人にはいつでも愛と感謝を表現し、ハグできる時にはハグを、キスできる時にはキスをしておかなきゃいけないんだと思う。
ケビンには、「そこにいてくれてありがとう」というのを言えなかった。
今更ですが、Thank you for being there for me, Kev.
そして皆様いつもありがとう。