今回は昭和天皇と沖縄の関わりについて書いてみたいと思います。
故・昭和天皇が戦後全国を訪問して回ったのは有名な話ですが、唯一行くことが出来なかったのが沖縄でした。
昭和天皇と沖縄の関わりで言えば、大正時代のまだ皇太子だったときに訪欧の途路で沖縄に立ち寄ったことがあるくらいです。
そのときの御召艦(天皇が乗った艦)の艦長を務めた沖縄出身の漢那大佐は郷土が生んだ英雄として戦前の沖縄で絶大な人気を誇ったと言われています。
結局、昭和天皇は沖縄にそれほどの関心は無かったのかもしれません。
敗戦から二年後の昭和22年9月 昭和天皇は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてGHQの政治顧問 W.J.シーボルトへメッセージを伝えました。
シーボルトからワシントンの J.F.ダレス国務長官に宛てられた書簡には天皇の要望として
①米国が琉球諸島の軍事占領を継続することを望む。
②上記の占領は日本の主権を残したままにしておき25年~50年、もしくはそれ以上の長期租借によるべき。
③上記の手続は米国と日本の二国間条約によるべき、などとする内容がしたためられていました。
(このメッセージは沖縄県公文書館に収められている)。
なぜ、天皇が米国へ上記の要望をしたのかについては今もなお謎が残っているようですが、戦前のように急進的な勢力が国家の転覆を図ったり、或いは共産主義が日本に浸透するのを恐れていたことは事実のようで、そのために米国の力を借りようとしたんだと思います。
そして沖縄をその犠牲として差し出したんです。
天皇の提案は米政府を感激させました。
こうして沖縄は米軍の統治下に置かれ(沖縄を支配したのは米陸軍の中将で高等弁務官と呼ばれた)、銃で住民を家から追い出して家をブルドーザーで潰して基地を作っていくという、とんでもないことが起きていきました。
米軍統治下の沖縄では、住人が寝静まったところへ米兵が土足で侵入して女たちをレイプしたという話は枚挙に暇がありませんし、沖縄人が米兵を殺そうものなら重刑が言い渡されるのに、その逆だと無罪か軽犯罪程度の量刑で済むという人権が存在しない時代が27年続いたというのが現実だったんです。
その根源に昭和天皇の米国への要望がありました。
天皇は最後まで沖縄訪問を強い思いで望んでいたにも関わらず、遂に望みを果たすことが出来ませんでした。
でも、それが天命だったんだろうと思います。
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