オリンピック召致活動 | The Same Moon Cafe

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どこにいようと見上げる月はいつでも優しく微笑んでいる

 オリンピック召致活動の一環として宮内庁は皇室が関わることに慎重です。
 このニュースを聞いて連想されたのが昭和初期の日本を席巻した「統帥権干犯問題」です。統帥権とは簡単に言えば誰が軍隊を統べる権利を持っているか?ということですが、この問題が浮上したのは昭和5年に国際的な海軍軍縮会議がロンドンで開かれて、日本の軍艦保有数がイギリスやアメリカに劣ることが明らかになったときでした。先に締結されたワシントン海軍軍縮条約(大正11年)での主力艦保有数に不満を持っていた「艦隊派」のひとり加藤寛治大将は日露戦争勝利の立役者であった東郷平八郎元帥を祭り上げて条約批准に反対する活動を繰り広げ、やがてそれは政界やマスコミも巻き込んで大きな論争に発展しました。反対派の主旨は軍隊の兵力量を決めるのは統帥権を持つ天皇であり、軍人でもない政治家が海軍軍艦の保有数を決めるのは天皇の主権を犯すことになるというものでした。
 しかし、ときの総理大臣浜口幸雄は野党党首の犬養毅や鳩山一郎らの責任追求を退けて帝国議会で条約草案を可決し、天皇の裁可を得るため草案を枢密院議会へ提出します。枢密院本会議はこれを可決し条約は天皇の裁可を得て批准されました。つまり、天皇もこれを認可したということですが、批准に反対する勢力は天皇を直接非難できないので「悪いのは陛下の周りにいる奴らだ」とばかり、条約に賛成した政治家の命をつけ狙うようになりました。条約を批准した年の暮れに差し掛かる11月14日浜口幸雄首相は右翼の青年に襲われて重傷を負い、翌年夏に亡くなります。首相を襲った青年は警察の取り調べに「総理が統帥権を犯したから」と答えましたが、「統帥権とは何か?」との問いには明確に答えられなかったと言います。
 こうして政治家が自分の主張を明確に表明するのが難しい空気が国内に漂い始めて、やがてそれは軍部の独走へ繋がっていくんです。浜口首相を痛烈に批判した犬養毅が5・15事件で海軍の青年将校らに襲われて銃弾に倒れたのは皮肉な話です(「話せば分かる」「問答無用」のやりとりで有名)。
 日本にはこうした過去があるために宮内庁は政治的な性質を持つ活動に対して慎重なわけです。オリンピックを日本に呼ぶためにもっと皇室が活躍してもイイんじゃない?と考える人は大勢いるとは思いますが、皇室の威光を飾り立てる輩が現実に今もいることを考えると宮内庁の判断も理解できます。私はこの問題にあまり関心がなく中立的な立場ですが、都内を歩くとアチコチに誘致を宣伝する広告が意外に目立つのを見て、誘致がエスカレートしないで欲しいと思います。