戦況の変化

 まず、日報を記すにあたり、本年1月に入ってからの戦況の変化について説明する。敵との熾烈な闘いに見事勝利した小生であったが、その後、チョルガンという新たな敵が正式に宣戦布告をしてきた。しかも、新敵チョルガンとの新たな戦場はなんと旧敵ユン・セリの陣地。小生は、敵陣において二正面作戦を闘うことを余儀なくされたのである。賢明な読者はお分かりのことと思うが、念のため、旧敵と新敵との闘いにおいて小生が防御するべきものは異なることを申し添えおく。

 第一次・第二次世界大戦時のドイツの例を出すまでもなく、二正面作戦というのは得てしてうまくいかないものである。そして太平洋戦争時の日本を見ればわかるように、戦争は始めるよりも終えるのが難しい。過去の歴史から学ばぬような愚を犯してはならない。したがって、機会を伺いつつ、いまやチョルガンという共通の敵と闘う旧敵には降伏し、あるいは休戦を申入れて対等な同盟を締結することも選択肢とすべきであろう。とはいえ、軽々に事を運んでは、却って李家の運命と名誉に不利な結果をもたらす。極めて慎重な検討が必要となるだろう。

 

 20時間の匍匐前進の間、小生が考えていたのは以上のようなことである。

 

これまでの死闘の記録についてはこちら。

 

 

 

 

2020年1月某日

場所: 敵の総司令部

危機発生状況: 敵陣に侵入後、最新のGPS装置を駆使して敵の総司令部を発見。数週間ぶりに敵と対峙した。

危機回避の要因:20時間の匍匐前進により、身体中傷だらけでめっちゃ痛かったしめっちゃ疲労困憊していた。また、敵の総司令部があまりに立派で気後れした。

危機の強度: 中

所感: 正直、早々に降伏しちゃってもいいかな、という思いが初日にして頭をかすめた。『孫氏の兵法』に「急いては事を仕損じる」と書いてあったような気がして自制した。

 

 

2020年1月某日

場所: 敵の総司令部

危機発生状況:チョルガン軍との戦闘にて軽傷を負ったところ、敵が「ナイチンゲール作戦」を巧みに仕掛けてきた。

危機回避の要因: 負傷中であったので、降伏する上で不利な状況下にあると判断した。

危機の強度:強

所感: 思わず敵の腕を引っ張りベッド座らせてしまったのは間違いであった。負傷していなければ確実に降服していただろう。キッシンジャー著『外交』に書いてあったような気がする一節「形勢不利な状況で重大決断してはならない」を思い出して抑制した。

1月某日

場所: 敵の総司令部

危機発生状況: 敵に対し、休戦協定の具体的な条件を申入れてみたところ、思いのほか積極的な反応が返ってきたうえに、敵が「ソジュを次々と注ぐ作戦」を繰り出してきた。

危機回避の要因: 深酒し過ぎた。小生の酒量のマックスはソジュ2本なのに、6本は空けていた。

危機の強度: 最強

所感: 正直、朝までの記憶がないので、もしかして降伏しちゃったのかな・・・。小さな頃から負けた記憶がない小生に限って、酒の勢いで…とは思うが、明朝、敵が目を逸らしてきたのが気になる。小生は何かしてしまったのだろうか・・・。クラウゼヴィッツ著『戦争論』に書いてあったような気がする「酒は飲んでも飲まれるな」を忘れるべきではなかった。

 

 

2月2日

危機発生状況: 敵の建国記念日にあたり、塩・・・ではなくGPS付きの装備を送った。これで敵の居場所を確実に突き止められるはずだ。

危機回避の要因: 耳野郎が絶対家中に盗聴器を仕掛けてるだろ!

危機の強度:強

所感: 敵の総司令部の寝室は何故あんなにオープンな作りなのだろうか?鋼鉄のドアが必要だ。毛沢東『遊撃戦論』に書いてあったような気がする一節「ネズミも鳥も聞き耳を立てていると思え」が役立った。

 

 

2月某日

場所:敵国首都各地

危機発生状況:本日は敵の総司令部から遠隔地での戦闘と相成った。

危機回避の要因: 降伏の選択肢が現実的になるにつれ、「絶対パパとママに怒られる」という思いも強くなってきた。あと橋が高すぎて足がすくんだ。

危機の強度: 強

所感:実は、休戦協定および同盟締結に備え、念のためソウル新羅ホテルのプレジデンシャルスイートを予約していたが、ざっと一千万ウォンの無駄な出費となった。ツキジデス著『戦史』に書いてあったような気がする「前のめりは禁物」の一節を思い出すべきであった。

 

念のため予約を入れておいたソウル新羅ホテルのプレジデンシャルスイート。グランドピアノがあるので良いところを見せられると思ったのに残念であった。

 

2月某日

場所:ソウル市内の病院

危機発生状況: 敵の負傷により一時停戦かと思われたが、思わず小生から攻撃を仕掛けてしまった。

危機回避の要因: 空気の読めない部下たちが参戦してきた。敵が重傷を負っていた。

危機の強度: 中

所感: フェアプレー精神ではだれにも負けない小生が、敵の負傷中に攻撃を仕掛けるなど、どうかしてしまっている。マハン著『海上権力論集』に書いてあったような気がする一節「急がば回れ」を今こそ思い出さねばならぬ。

 

 

2月某日

場所:軍事境界線から韓国側に10メートルほど入った地点

危機発生状況:ついに新敵チョルガンは倒したものの、旧敵との戦闘は二度目の終結を迎えてしまった。

危機回避の要因: いくらなんでも、いろんな意味で即射殺される。公衆の面前。下手すれば第二次朝鮮戦争勃発。

危機の強度: 低

所感: 冷静に考えれば、超えた軍事境界線をもう一度戻るなど、狂気の沙汰であった。石原莞爾著『最終戦争論』を読み過ぎて特攻作戦に出てしまった。やはり合理的思考は大事である。これからは『失敗の本質』を愛読書にしようと思う。

 

 

 

 

総括と後日譚

 さて、これで小生の2か月にわたる戦闘の記録は終わりである。我ながらよくこの数々の危機を無事に乗り切ったと思う。しかし、日報を読み返すとつぐづく、小生または敵が常に負傷していたことが功を奏したと感じる。計画された作戦ではなかったが、運も味方したといえるだろう。

 

 ここからは、戦闘後の後日談を残しておこう。

 小生は戦闘勝利後無事に自陣に帰還した。だがこの時すでに固い決意を持っていた。それは、近い将来、最良の環境を整備したうえで、敵と改めて休戦協定ならびに同盟条約を締結するということである。その決意は敵にも一方的に通知し、しばらく後に敵側から秘密のシグナルを使って内諾の意が伝えられた。

 

 それから3年後、永世中立国スイスの仲介により、湖に囲まれた美しい街、インターラーケンのVICTORIA-JUNGFRAU Grand Hotel & Spaで敵と会談、無事に条約調印式も済ませ、新たに最友好国として出発することになったのである。

 

 小生の3年2か月にわたる闘いについては、後世の歴史家たちの評価を待ちたい。「防御、防御言いながら、キスは全部自分からしてるんですけど!ただのマッチポンプじゃん!」「さっさと投降しておけばよかったじゃん!見ててもどかしかったんだけど!」「そもそも、なんのために守ってたわけ?カトリック?」「てゆーか、『ソジュの夜』は絶対怪しいでしょ?」などなどの厳しい批判も甘んじて受けるつもりである。

 

 しかし、今、確実に言えることが一つだけある。それは、あの長い期間があったからこそ、今の最高の幸せがあるのだということ。ありがとう、ユン・セリ。そして、

 

よく頑張った!俺!

 

条約締結会場となったVICTORIA-JUNGFRAU Grand Hotel & Spa

 

 

会場に鳴り響く歓喜の歌

 

 

 

同盟国として再出発した小生とユン・セリ

 

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注1:世界の偉大な戦略家の皆様、本の内容を勝手に改変して申し訳ございません。お詫び申し上げます。

注2: 世界銀行の統計によりますと、2017年の北朝鮮の出生率は1.91。日本の1.43、韓国の1.05には及びませんが、かなりの低さにびっくりです!普通に考えると第一次、第二次産業に頼っている開発途上国は「産めよ増やせよ」方向だと思うのですが・・・。例えばサブサハラ以南のアフリカ全体の数字が4.77なので、貧困が理由とも思えません。まさか、リ・ジョンヒョク氏的なポスト・モダンな価値観の方が増えているんでしょうか・・・。北朝鮮の恋愛・結婚事情が気になります。