世の中には有能といわれる人達と、無能といわれる人達がいます。
そして世の中には少数の有能者とそれなりの普通者、そして相当大勢な無能者から成り立っています。
なぜこんな図式になるかというと、有能者が無能者何十人何百人分もの富を貪るからです。
じゃあなんでこんなに世の中無能者が多いのでしょうか。
まあそもそも無能者ってどんな人のこと?と言われてしまうと定義がなかなか難しいものがありますが、とりあえず今の自分がカースト制度のどこらへんにいるか?と聞かれたときに自分を奴隷以下だと思う人は多分無能者なんだと思います。
おそらく自分が一番わかっているはず。
しかしまあ、私が思うにこの「有能」と「無能」って分け方は実はあんまりよくないというか、まるで完全に普遍化されたような単語で、後々変わりようのないモノに聞こえるんですよね。
私に言わせれば世の中「有能」と「無能」というものは確固たるものではなく、その人のもつ意識の問題で、意識改善により無能→有能とは行かぬまでも無能→普通くらいには改善可能なんですよ。
物事ってのは多くの場合、「与えられた材料はみな同じ」で、それをいかに並び替えるか、いかに料理するかがその人の個々の能力の差の出てくるところです。
</ですます調>
野球で例えると、「このイニングに君のチームのバッターは2本のヒットと1本のツーベースを打つことができて、三振をひとつとられる。盗塁や進塁打はなし。」という条件を与えられたときに、これらがどう並べばもっとも点が取れるか考えてみろと言われたとき、多分たいていの人は
ヒット→ヒット→ツーベース→アウト×3=1点 くらいになるだろう。
ところがちょっと野球を知っている人で頭の回転がちょっといい人だと
ヒット→ヒット→三振(振り逃げ)→ツーベース→アウト×3=2点
というような答えになると思う。
わざわざ「三振をひとつとられる。」と書いてあることに絶対に疑問を持つからだ。
こんなのは序の口もいいとこのたとえだが、要は有能よりの人というのは常に何らかの違和感を感じた時にそれについて深く考える癖がついているのだ。
また、同じピースを与えられたときにそのパズルを「最もその場面に対して有用になるように並べようとする意志」が常に無意識に発動するようになっている。
無能者と有能者との一番大きな違いはここにある。
つまり、今その時を無作為に生きていないのだ。
常時なんらかのレーダーが作動していて、何かを引っ掛けるとそれに対してなんらかの行動を起こす。
意識してみるといい。
私の知る限り、この違いが如実に出るのはコンビニだ。
コンビニの店員を観察するのはとても面白い。
客商売の当たり前として、はっきり聞こえる声であいさつができているかどうかがまず一つ。
次にコンビニの命は速度であることを理解しているかどうかがふたつめ。
コンビニで普通の買い物と公共料金とWebマネーを同時に買ってみよう。
このときに客に明らかに無駄な待ち時間を生じさせる店員と、最高効率で待ち時間を最小にできる店員とでは実に3~5分くらいの時間差が生じる。
コンビニのレジ前で待つとき、明らかに店員が愚鈍なせいで待たされているときほど腹立たしいものはない。
これも、買い物内容は同じであるのに、それを最速で処理するにはどうするか、ということを常時考えているか、惰性でただレジ叩いているか、という違いだけなのである。
これは何事についても、仕事のみならず遊びでもなんでも同じである。
惰性で何も考えずにやってる奴は、すぐに常時脳が稼働している奴に抜かれる。
ようするに普段から無意識に脳を鍛えてるかどうか、の差なのである。
脳みそだって筋肉と同じで使わなければ廃用萎縮する。
そこのあなた。
普段からちゃんと脳みそ使ってますか?