自己愛という言葉が

私の耳によく入ってくるようになった


別に新しい言葉でもないと思うのに

意識によく届くようになった


自分を愛すとは?


ここ十何年くらいは

その意味を考えた事もなかった


中学生の時に愛されるとは?

その意味を考えていた時


漫画のキャラクターが言っていたセリフ

「自分を愛さない人は人からも愛されない!」


。。。どういう事?

って思っていた


相手が嫌うのも好いてくるのも

相手の勝手じゃないの?



いやいやそういう事じゃない

っと今やっと分かる気がする


自分自身のどこにあいを置いているかで

同じエネルギーの人が寄ってくる

と言うことだと感じた



これが類はと友を呼ぶ


それに尽きると思う


その人を知りたければ

周りの人間を見るのが早い


その人が選択する

優先順位がその中に見えてくる


ここからが本題!


私は自分を大事にする

愛するを真剣にしてこなかったとき


愛は自分を犠牲にして

自分を相手に明け渡し

我慢することが愛だと思っていた時


周りに集まってくるのは

同じ痛みや考えを持ってる人だった


例えば恋愛で

自分が相手のために

我慢したりこんなにしてあげてるのに

相手が我慢してないと思い通り

コントロールされないと

つもりに積もってキレてくる人



これに思い当たる人は

何かを我慢してる人


本当は自分がものすごく我慢してる事がある


自己愛とはこれに耳を傾ける

自分の心と内側と本当の意味で向き合う


たったこれだけのことなのに

私は自分の声を聞いたことがなかった


今でも習慣になるまで

意識的に聞かないと

すぐに慣れた自分で過ごして

知らずに我慢させる事がある


それで完成するのは

不本意な人間関係だけだった


そりゃそうだよね

我慢が当たり前で

何も言わないイエスマンなら


周りからはこの子は

何を言ってもイエスと答える

答えて欲しい人が集まるんだから



少しずつ

自分の声を聞く事を意識しだしたら


最近に耳に入った話で

前だったらそうだよねって思っただろうことに

違和感を感じるようになった



同じ人が他にもいるだろうし

結婚していたり

同棲してる人は

共感する部分があるのではないか?



例えば結婚してる人で

奥さんが専業主婦の場合

旦那さんが収入を補ってる


ここでの会話

仕事を頑張ってる分

家でとてもダラシない旦那さん


奥さんがやってくれてるといえど

あまりにお家の使い方が汚いので

掃除する側への思いやりも感じない

使い方をしないで欲しいと伝えたところ


自分がお金を稼いできてるのだから

家の事は任せてるんだし

嫌がらせをしてる訳じゃないので

家で自由に過ごしたいのに

使い方まで細かく

気にしないといけないのはくつろけない

それくらいは我慢するのが当然じゃないの?



前の私だったら

養ってもらってるしそうだよねって

我慢するのが当たり前だよねって


その話の旦那さんに共感していたと思う


現にうちの母親が

父に対してよく言っていた言葉だったので

私も知らずにそう思い込んでいた


でも待て。。。

うん?って思う違和感がきた


人と一緒に暮らしていて

話し合いと意見を言うのもすっとばして

我慢をする選択になるんだろう?


その時にハッとしたのは

その人も同じ思い込みがある人なんだ

と気づいた


その旦那さん自体が

お金が稼げないことで

何かを我慢してきた人なんだ


だから奥さんを通して

それが当たり前のようは言い方であり

我慢する事が当然だと思って


奥さんも働きもせず

お金を受け取ることに引け目を感じてる


いや!働いてるじゃん!

家事も労働だし

仕事として給料計算したら

稼いでるよ!

寝る時間以外やってることになるし


お互いがお互いを

自分という存在を

等しくみていないんだと感じた


2人が何かに我慢していたんだと

言うことに気付けば

また話し合いの内容や

選択が変わってくる



思い込みは怖いと感じたし

自己愛をもって自分の違和感に

耳を傾ける事をしなければ

その事にすら気付きもしない



まずは自分の声を聞くことに

立ち戻らないと


世の中で理想とされてる

幸せや


満足感をなぞっても


本当の自分の幸せや達成感は

得られないのだろうと感じた