2025年4月7-26日 聖書通読
みことばで神様と交わろうニコニコ  
 
ルカ15章

4月初めに、新しく開かれた聖会桜。主は私の心に次々と新しいことを起こされた雷

私は思ったキョロキョロ。私は自分や人の体験したことを下敷きにして生きるしかないけれど、主は私を、全く経験したこともない新しい世界へ導かれる。

ああ、本当に主の恵みは「朝ごとに新しいびっくり(哀歌3:23)」

目が開かれていくとは、どういうことか?聖霊が教えてくださることは、何か?

それはまず「罪について(ヨハネ16:8)」。それは主が私のうちで始められたこと炎

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。(ヨハネ16:8)」主は愛する者たちに、世のあやまり、私たちのあやまりを教える地球

主の愛が、主の光が、私のうちに差したとき、私は救いようのない自分の姿をより正確に認識した不安キラキラ。主の限りない優しさの中で、自分の隠れた醜さ、愚かさを告白するたびに、天ではファンファーレが鳴り響く花火。「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ルカ15:10)」ああ、これは毎日繰り返し可能な喜びなのだ。

私の弱さを罪深さを告白するとき、イエス様の愛が心にさらに大きく深く迫るハート。ああ、これが主との交わり。これが福音の輝き。

私はいつも心に関心があった。「イエス様の心と自分の心が通じ合うこと」これが私の切なる願いだった。切に切に求め祈ってきたチュー。しかし、聖会最後の祈りのとき、私の目は開かれていくびっくり気づき

ああ、私は人や物事をどれだけ普通に判断しさばいてきただろう。多くの時間をイエス様抜きでどれだけ王様になっているだろうまじかるクラウン。「あなたがたは、もう満ち足りています。すでに豊かになっています。私たち抜きで王様になっています(Ⅰコリント4:8)」

イエス様の心を知りたいと願う私自身が、自分の吐き出す罪と悪で、イエス様の心を痛めつけていたナイフ。十字架のイエス様の心に自分が釘を打ち込んでいる姿が見えたえーん。打ち込むたびに痛みを感じて、胸とお腹を押さえながらうずくまるように罪を告白した。まっすぐ立っていられず、身をよじるようにして、心の底から主に罪を告白した。そうしながら、私は私のうちに主の目と主の愛が激しく注がれるのを感じたえーんキラキラ

ああ、イエス様、判断、さばきはイエス様のものです。神様のものです。私はいつも間違うし、これからも間違い続けます。だから、イエス様、私は今日もイエス様が必要だし、明日もイエス様が必要だし、永遠にイエス様が必要なんですえーん飛び出すハート

それは心からの告白だった。ああ、主はそのようにして、私を主のものとされていく。

主が言われた。「あなたはわたしのもの、わたしはあなたのものハート(雅歌6:3)」。

信じるすべての人にイエス様が言われている。「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ(イザヤ62:5)」イエス様の救いのみわざが今日も力強く進んでいきますように炎

ハレルヤ爆笑!!

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろうハート

Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!