2026年1月1日 毎日聖書
王の足跡を辿ろう
Ⅰヨハネ1-章
主が私を島根で石見神楽に連れて行かれた
生まれて初めてのことだった。クリスチャンになる前は関心がなかったし、クリスチャンになってからは、なおさら私と関わりのないものと思ってた
ところが、イエス様との交わりが進むに連れて、主は私がこれまでイエス様に集中するためにと避けて来たことを逆に少しずつ体験させる。そして、そこでもっと深く出会ってくださるのだ
私が見たのは子供神楽。小学生から高校生によるもので、夜7:30から始まって、なんと9:30まで。寒さに震えながら、しっかり全部見た。地域で代々受け継がれて来た伝統文化
子供なのに、仮面をかぶった途端、鬼になり、獅子になり、天狗になり、狐になり、恵比寿になる。仮面は不思議だ。そういえば、どの国にも古くから仮面劇や踊りがある。笛や太鼓に合わせて、ゆっくり物語は進んでいく。
これをイエス様と見ようと、私の心は天を仰ぐ。そして、わかったことは、それらの一つ一つが、全て人の願いに始まったものだと言うこと
。鬼が来ても勇気を持って立ち向かえば退治できる、天狗のように空を飛んだり超人的な力を持てる、あるいは恵比寿のように、いつも変わらない笑顔の神が自分を迎えてくれる、頑張ったことへのご褒美をくれる、などなど、人の願いがいろんなキャラクターに反映される
。
神楽の説明には「神と遊ぶ」という言葉が書かれていた。それで思った
。あぁ、人は神と遊びたかったのだ。神に感謝したかった。神に頼りたかった。神と生きたかった。そう造られているから、本能的に求めているのだ。でも、罪ゆえに、どんなに人が願っても、人の力ではそれをなし得ず、自分でそんなストーリーを作って、慰めとし、力としてきたのだ。そうして、人はもっと本当の神から離れていった。
そんな中に本当の神が現れた。それは人を真に生かすいのち。「このいのちが現れました。(Ⅰヨハネ1:2)」このいのちこそ、神である主イエス・キリスト
。人が想像する姿と全く異なる姿で来られた。それは神と人との障壁をくだくため。その方法は、ご自身を砕き、引き裂くことだった

イエス様ゆえに、信じる者は「たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます。神は私たちの心よりも大きな方であり、すべてをご存じだからです。(Ⅰヨハネ3:20-21)」ここにおいて、私たちはすべての恐れから自由にされる
。
神楽を見て思った。ああ、神に頼りたかったのは私。神に感謝したかったのは私。神と遊びたかったのは私。その願いを実現するために私は何もしなかった。「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったか(Ⅰヨハネ3:1)」を思う。
その神がイエス様だったと知った感激
。今、イエス様を信じる者は神と生きる者、神と遊ぶ者、神と交わる者。「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ1:3)」
イエス様はすべての人にご自身を示される。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(Ⅰヨハネ4:19)」ああ、受け取ろう受け取ろう。この交わりを。主イエスキリストによって。ハレルヤ

私はイエス様のもの
イエス様は私のもの
今日も王と生きよう
Reading the Bible is not about checking a box— it’s about living in fellowship with Jesus.
