聖書通読25日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。

水曜日は詩歌
〜。

ヨブ7-8章
最近なぜか、昨年10月に見た幻のことが思い起こされる。それはものすごく大きな城壁
。その時なりに、気づかされるものがあって、それをもって祈り、その時の状況を乗り越えたが、ここに来て、再びその幻がクローズアップされている
。




私が心に感じること、それは、あの城壁が一つの示しであったということ。あのような盤石な城壁を、霊の世界に築くようにというメッセージだったと。そんな城壁をどう築く
それはみ言葉によって
。私たちは一日一日、み言葉によって城壁を築いているのだと感じた。



城壁のない町は脆弱な眠った町
。悪しき者は言う
。「私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。(エゼキエル38:11)」


城壁のある町は目が覚めている町
。敵の侵入に敏感で、戦いの備えができている
。そして、主の来臨を待ち望む町。「目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。(マタイ24:42)」



主は約束してくださった
。「わたしはあなたを、この民に対し、堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても、勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを助け出すからだ。(エレミヤ15:20)」主の導きによって、み言葉によって建てあげられよう。

「私たちには強い町がある。神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。(イザヤ26:1)」
しかし、時に私たちは窮地に追い込まれる
。ヨブはその極みだ。理由も分からず、苦しみの中に放り込まれる。しかし神はみ言葉によって、私たちにだけ、その舞台裏を見せてくださった
。そこには神とサタンとの会話があった(ヨブ1章)。




全ての事の発端は霊の世界にある。血肉の戦いではない
。私たちの力で進んだら失敗する。聖霊に示され、み言葉によって防御し、また時には「御霊の与える剣である神のことば(エペソ6:17)」で不要なものは切り捨てよう
。


そして、自分の頑張りにより頼むのでなく、世に打ち勝ってくださった主により頼もう
。主は私たちを建てあげつつ、もっと大きな枠においては私たちを完全な勝利で守ってくださる。主の城壁は完璧な城壁、「火の城壁(ゼカリヤ2:5)」だ
。


これ以上の完璧な守りがあるだろうか
。主が完全に世に打ち勝ってくださったのだ。だから、多少、心弱くなっても、霊的鋭さにおいて、今ひとつな時があっても、気にするまい
。主に頼り、主にすがり、主の中にある喜び幸せを感じながら、火の城壁に囲まれ歩んでいこう
。




今日もみ言葉で祈ろう
。

主の中で自由に歩もう
。

That life is the light. That life is developing me. That life is developing my spirit. That life is developing my mentality. I’ve got God in me. I’ve got God’s wisdom in me. I’ve got God’s life in me. I’ve got God’s power in me.”