ボキッという嫌な音とともに私の鎖骨はまっ二つになった。
暖かな日差しが降り注ぐ、とある秋の日の出来事。
0から就農して、ついに3年が経過した。
全く畑仕事が出来なくなり、今までを振り返るつもりで、新たにブログを始めてみようと思い立つ。
脈絡も無い話しの羅列になってしまうかも知れないが、
何の縁故も無く、資金も無く、技術も経験も無い私が、どうやって農家になったのか。
そして何よりもこれから農外就農を目指す皆さんに、本当の農家の姿、そして本当の楽しさや厳しさをお伝えする事で、方向性を決める為の一助となれたらありがたい。
まずは「なぜ農家になったのか」についてのお話し。
振り返れば、自分でも何故だろうと思う事が多くあった。
その一。ひとりで仕事する事に慣れた
私が、勤めていた会社の都合で広告代理店を設立する事になったのはちょうど8年前。
社長が突然、簡易な印刷機を購入したのだが、全く採算が合わず、
経営が傾いて来た頃から、一番給料が高かった私に独立を進めて来たのだ。
「お前なら一人で出来る。独立しないなら給料を下げるしかない」
もちろん一番給料が高いという事は、一番の稼ぎ頭だと自負していた私。
正直ショックであった。
なんの経営ノウハウも無く、このままでは安月給でこき使われる日々が始まるという恐怖感から、社長の申し出を受諾。
今思えば失業保険なども貰っておけば良かったと思うが、社長からは何の説明も無いまま「じゃあ頑張れよ」で数年来の関係は終わった。
一人で会社を始めて、5年が経過。
急に話しがとぶ事になるが、タイトル通り農業の話しを中心に進めたいと考えているので、ご容赦いただきたい。給料が出ない月もありながら、なんとかかんとか生き残った5年について少しだけ触れたいと思う。
激務の続く5年の間、私の唯一の楽しみは家庭菜園であった。
何げなく始めた趣味であったが、小さな畑に実る季節の野菜たちを眺めるのが大変な喜びである事に私は魅了されていった。
もともと凝り性の私。
NHKの「趣味の園芸 野菜の時間」は毎週撮り溜めて、何度も見返したり、様々な書物から知識を吸収。また野菜栽培士講座を受講し、より深くのめり込んでいく事となった。
連作障害を避けるため、小さな畑を8つのブロックに分けて、それぞれの科目毎に栽培をローテーション。播種時期、定植時期を考えて出来うる限り空いたブロックが無い様に計画を考える事が楽しくて仕方無かった。
そんな5年の間にもっと大きく農業をしたいと考える様になり、就農する2年前、つまり独立して3年目に運命の出会いが訪れる事になる。