遅くなりましたが、去る1月25日に父りょうちゃんが旅立ちました。

Twitterの方でたくさんお悔やみの言葉頂いて本当にありがとうございました。

葬儀も終えて、けっこう休んだんですけど明後日から仕事復帰します。



思えば2年とちょっと前、実家に戻る決断したのはもちろん自分自身の老後のためも大きかったのですが、りょうちゃんがなんとなく、衰えたというか少し心配があったと言えばありましたね。そろそろ老人ふたりじゃマズイかなって。

その3ヶ月後ぐらいでしょうか、まず脳梗塞で。

実はその時に担当医から「長くはない」と言われていました。近いうちにまた梗塞か出血か。全身状態も悪いと。医者としては入院して欲しいけど、その時までどう過ごしたいかと。

覚悟して連れて帰りました。予告通り脳出血からの何度も入院を繰り返し、でもおかげでお別れの時間をたっぷり取れたと思ってます。

ドライブも行ったし、手料理も食べてもらったし。

車椅子で散歩とか。今年の正月は孫にも会えた。正月明けからまた入院してて最期は間に合わなかったけど、前日にお見舞いもできた。充分です。


職人気質でこだわり屋の変人でしたww

部屋の整理してたら、独学でCADを使ってたとか、身寄りのない親類の葬儀をウチで出した時の収支残してたりとか、鮎釣りの道具とか、もう性格が丸出しでひとりでニヤニヤしてしまいました。

考えてみたらこんな84歳なかなかいないと思う。


ここやTwitterでのりょうちゃんの話、聞いてくださってありがとうございました。

きっとここ数日何度もあげられるお経とか、「やかましいなぁ」って笑ってそう。



そんなわけでずっといつ何があってもいいよう、少しずつ預金とか保険とか調べてはいましたがやっぱり世帯主が亡くなるって色々と大変。

弟は葬儀で喪主挨拶しただけですぐ帰っちゃうし、手続きはほぼわたしです。まあ、なんとかなりそうです。



ところで葬儀は28日でした。

薪さん、誕生日にお葬式してごめんなさい。

描いてたんだよ。


続きが描けないままになってますが。
必ず仕上げます。
元気なんですけどね、まだちょっと気力が。


さて明後日からの仕事ですが、やっぱりと言うか感染者が複数人出てると同僚から連絡ありました。
……めちゃくちゃ行きたくない。
ただエッセンシャルワーカーの悲しいところで、たぶん閉鎖とかあり得ないです。
不思議なもんで、凄いタイミングですよね……忌引で休んでる間のこと。9月に接触者になったのも父の入院中だったし。守ってもらった気がする。ここで感染しても絶対うつしちゃいけない父はいないし。(母はいいのか)

でも怖いもんは怖い。
とりあえず月末に予約してた年金受給停止手続き、前倒しして明日行ってきます。
スポドリの濃縮液買って、お粥作って冷凍して、父が処方されてたカロナールもあるし、万が一に備えてます。召集令状がきた気分だ。
無事だったら絵描きます!