前回、「生き地獄」と表現された当事者の方の発言を
紹介しましたが、
今日、母と鹿児島でのことを話した時、
Hさんご夫婦の発言も母に伝えました。
母が、面会交流に同行したのは、孫と会えなくなって
1年が過ぎてやっとでした。
それまでのことを
母は、「生き地獄」という表現に自分を重ねたようでした。
孫に会うまでの心配、
会って顔をみて、もっと多くの心配、
どっちにしても私の元にいない孫を心配して、やっぱり辛そうで
時に、私の理解者ではなく、
私を非難し中傷することもありました。
誰も皆傷つき、誰も皆自分のことだけ。
それは当たり前のことでしょうが、
子どもにとって一番幸せな結論が出た時、
まわりの大人は自分の気持ちの整理をすることができるはず。
だって、自分の望まないことでも
子どもが幸せになれるなら。
今、私のもとにきた娘は、楽しそうに心の底からの笑顔で
『だっこ』されてます。
「大きな子が恥ずかしよ」、と父(私の)にたしなめられてますが、
私も娘も、そんなの無視して、ラブラブなスキンシップを
満喫してます。
私は、娘に遠慮せずに怒るときはすごく怒るし、
小さなことも、くどくど小言いってます。
(鹿児島で目撃された方は、たぶん、クスって笑ってますよね(-^□^-) )
それぞれ、いろんな思いがあって、
相手方が、子どもに愛情があるのは当たり前なんだけど、
私から見ると、愛情5割、執着5割にしか見えなくて、
子どもの監護環境はお世辞にもいいとは言えず・・・
どうして、裁判官に通じないのか、
子ども達の思いが通じないのか、
どうすればいいのか、
日々、自問自答してます。
みんな悩んで悩んで
自分で納得できるまで悩んで
進むだけ。
いろんな人と知り合って、
改めて思うのは、独りじゃないってこと。
初めて参加した鹿児島の当事者の方も、
『自分たちだけじゃなかったんだ』
とおっしゃってました。
独りじゃない。
いつも、たくさん励ましてもらって、
支えてもらってます。
子ども達を離れ離れにしないためにも
私自身は、もっと頑張らなきゃだ。('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)