今日は父のキンバースデイ!
私の父はKin 220という
魂のNo.を選び生まれた。
今日のマヤ暦はKin220
自分のキンナンバーの日を
ツォルキンバースデイと呼び
自分と宇宙、自然界のエネルギーが合わさり
宇宙から最大限に応援される日。
キンバースディおめでとう!
と、マヤを知る仲間は喜びあう
先日、父が
【これユウカ(私の娘)にって
贈ってくれはったんや】と
なんとも可愛らしい一枚の絵を持ってきた。
父は20年以上前から個人誌を
作っていたのは知っていた。
『樹下』
年2回発行。46号。
手を掛けて作り続けている。
よくコンビニやスーパーのコピー機を
がっつり占領して印刷していた。
価格がどーの、両面コピーがどーの
両替がどーの、定員さんがどーのこーの。
よく話していた。
時にはディスってた
今回は私の娘の日常と生い立ちを
綴っていた。
父から見た私や夫、息子と娘のかかわりが
写真と共に掲載されいた。
今、娘はお陰さまで23歳。
23年前、27週0日982gでの誕生。
脳性麻痺の元気で明るい娘に成長しています。
【もう命が危ないから帝王切開するんやて】と
母からの電話に
【そうか、そうか。】と受話器の向こうで泣いていたと母からベッドの上で聞いたとき
父の【そうか、そうか。】が私には
ちゃんと聞こえました。
長いで~🤣
それ以来、ケンカもしながら
無条件の愛を貰っています。
娘は日頃、障がい者通所施設から帰宅すると
祖父の部屋へ行き、座布団投げを始めます。
ずらりと並ぶ本棚の上に容赦なく
座布団を投げ、積み上げていくという。
私の母は 知らぬまに座布団を縫い増やし
どんどん増える座布団。
崩れたら娘は『あかんわ』と言う。
言葉は不自由だけど
必要な言葉はスラっと発するようになってる。
あかんわ
いける?
オッケー
やだもぅ。
やめてよ もぅ。
GOー!
かわいい~
ちょっとちょっと
もしかして、生きていくために
そんなに言葉の数は
いらないのかも知れない
この座布団の積み上がり具合を
私の父は【作品】という。
その上、写真におさめてた。
父の文章を読んだ
樹下メンバーのお一人が
ご自分の娘さんに一枚の絵を頼んだそうです。
そして、私の娘に届きました。
ありがとうございます。
最近の嬉しい出来事でした
Kin220
黄色い太陽 赤い月 音12
無条件に尽きることなく
周囲を明るく照らす。
時に天然気質も楽しみながら、
今必要なことや的を得る言葉、
言動をオススメします。
障がい者とその家族が
もっと生きやすい世の中を目指す
マヤ暦アドバイザー佐藤慶子です。
奈良県に生まれ育ち
現在も奈良県在住です。
天真爛漫な子ども達が大好きで、
そして、皆さんの人生の子ども時代に
関わりたくて、幼稚園教諭になりました。
モンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園では、自立と自律へのお手伝いをしました。
結婚後、仕事は辞め
健常者の息子と
脳性麻痺の娘の母親となり
必死のパッチで日々をおくりました。
娘が17歳のころ、
私はマヤ暦と出逢ったんです。
『何のために生まれてきたか』
自分の役割、能力を知りました。
持ちすぎた荷物を
少しずつ手放しました。
自分のトリセツ(特徴)を
知りました。
『だから、私はそうやったんや』と
自分の色んな部分を否定せず認めました。
そして、
言葉を上手く使わない娘のことを
知ったときは衝撃でした。
『そうやったんや!』と泣けました。
娘と私は密に過ごします。
関係性もわかり、捉え方、サポートの仕方も変わりました。
その経験からマヤ暦を
特に障がいをもった方、その家族に伝えたい!もっと楽に
生きやすくなって欲しいと思い、
試験にチャレンジして
マヤ暦アドバイザーになりました。
この世の人々が、
それぞれの役割、能力を
持っていることを知り、
『違いを認める』ことができたら
どんなに素敵だろう。
『お互いを尊重』できると
どんなに愛の溢れた社会に
なるだろうか。
そう思うとワクワクが
止まりません。
『自分を知る』ツールのマヤ暦。
自分軸を整うと夢への
加速がスタートします。
私には、夢があります。
娘や息子のことはもちろん
同じこの世に生まれた
障がい者の方々とその家族が
余暇を楽しめ、
笑いと感動に満ちた日々を送る
そんな景色がみたい。
その中に私がいたいのです
私の人生の目的は
心を開き、絆を結び
垣根のない空間で
障がい者とその家族が笑うこと。
その楽しくオモロイ波動を
広げることです。
皆様、これからも
どうぞ、よろしくおねがいします。