17日間 | 鈍足の紀行記

鈍足の紀行記

46のおっさんがロ-ドレ-スで表彰台目指して練習の日々を綴る。
好物ドラ焼き・ゴリと呼ばれております。
TEAMGIRO所属 
実業団レースで鎖骨骨折からの再起出来るかな?

ブログ出来ないほど多忙極めた直近を13日(金)から振り返ってみます
13(金)
しごおわから爆速で帰宅し娘と留学生二人を車に乗せ晩飯からの夜遊び接待
ホテルのチェックインに送り届け帰宅は日跨ぎ

14(土)
夢見心地のまま出社して仕事中は久々に地に足がついてない感じ
そしてしごおわからの子供達のお迎え
千葉市内への幹線道路が何処も渋滞で倍以上の時間をかけてピックアップ
俺も大変だけど待ってる方は更に気を揉んでるだろうとメンタルコントロール
帰宅して即寝

15(日)
マレーシアから合流したダンディー二人を加え7名で都内観光
 New国立競技場からの都庁展望室
GinzaGinza言うので銀座でInstagram
ShibuyaSibuyaは I'm sorryでパス
仲見世の人混みに揉まれ辿り着いた夕暮れ時の浅草寺
お・も・て・な・しプランのはずが本国では歩く事が少ないらしく日が暮れる頃にはだいぶ疲れな様子
まあそれも良い思いででしょう
私も怒濤の3日間で詰みましたしおかげでいつも以上にビールが旨い

16(月)~19(水)
日中は交換留学を主催者方で面倒を見てもらい夜は食事とショッピング
マレーシア人は夜行民族なようだ
当然アタシもお付き合いして日々天辺越え

16日のディズニーシーから帰宅後一人発熱
体温計39℃表示に流行り病かもとおたつくが既に夜間救急も終わってるので症状次第では救急に相談するかと徹夜でホームメディケーション
悪化すること無く朝を迎え主催元に対応をお願いして出勤
貫徹したのなんて久しく記憶に無いけど人様の子供を預かる身として心配で眠さは感じなかったけど仕事中は言わずものがなです
結果的に医者へは行かず持参した自国の薬で鎮静化させて帰国しました
もう一人の留学生は元気なので通常対応
夜行民族のバイタリティーはんぱねっす
ホスト期日も先が見えてなんとなく寂しく感じるようになる

18(火)
留学生は浅草へ
JR浅草橋で降りたらそら歩きますわな
もっとも外国人が地下鉄乗りこなすのはムズいでしょうしそもそも日曜日行ったでしょう(T_T)

19(水)
日中は子供だけでスカイツリーへ
最上階は雲に包まれたので下のフロア止まりと愚痴ってたけど俺なんて未だ影すら踏んでないわ
帰宅後は滞在最後の夜に食事会
手間をかけたと思われる日本語で書かれた感謝の手紙を貰った時にはグッときました

そして20(金)
彼女達は帰国…するはずが航空会社都合で翌日に延期
マレーシア航空おそるべし(°Д°)
二度のdelayedの末無事にdepartureしました

初日は言葉も通じず17日間は長いだろうと思っていたけど共に生活をし日々コミュニケーションを深めるにつれ最終日が見える頃には寂しさを感じるようになり彼女達が帰国した今、片付いた部屋を前に喪失感に包まれています
例えるなら娘を嫁に送り出した気分でしょうか
もっともまだ経験はありませんが…

親元を離れ環境も生活様式も違う日本での滞在は彼女達にしたら不安だったはずですがそんな素振りも見せず言葉の壁を越えて判り合おうとする姿に国も人種も関係なく大切なのは相手を思いやる気持ちだと気付かされました
受け入れ準備やホスト対応でそれなりの労力と経済的負担も大きかったけどそれ以上に彼女たちが残していった記憶と気付きは家族にとってかけがえない思い出です
願わくばこの17日間が彼女達の将来に役立てればホストファミリーとしてこの上なき喜びです
またいつの日か逢えたらいいな
ただ恐ろしいのは来月のクレカ請求(^^;