昨年度
中学一年生の末っ子は
二学期からいけたりいけなかったりの
学校生活でした
クラスで理不尽ないじめがあったりして
乗り越えたところにまた新たないじめの種が落ちていて
クラスメイトの何気ない一言も
いちどいじめをくらっている子には
なかなかのダメージとなることがありました
クラスでの対応は担任の先生やカウンセラーの先生が対応してくださり、その都度改善していったのですが、対先生の問題は大人が絡むとややこしいところがありました
とはいえこのブログにも記載していたと思いますが、大人の管理は学校側のお仕事ですので、教頭先生に入っていただき、お互い歩み寄れる形で2年生を迎えました
4月に入り、その該当の授業を受けたくない息子
保健室にいてもいいですか?ダメなら別の場所でも良いのでお願いしますと話すと、新しいクラスの担任から『検討しますと』言われました
それから返事もなく1週間近く過ぎた当該授業の前日15時に電話がかかり、話したいので息子さんと学校にきてくださいとのこと
登校していた息子にはまだ話していないので
おかえりいただいたら、保護者が説明して連れてきてくださいとのことでした
末っ子やわたしにとっては、どうなるか不安でたまらない出来事なのに、学校の扱いが雑だなーと感じ取れることでした
末っ子が帰り説明して
嫌がりはしましたが自分のことなので学校へいき、クラス担任と副担任、学年主任との話し合いが行われました
同席した先生方は引き継ぎをしたとした上で
当該授業にまずは出てみよう
そして
『がんばって出てみよう』
『がんばって座ってみよう』
『がんばった先にできることがある』
とにかく『がんばれがんばれ』の一点集中でして
話にならないなーと感じました
なぜ末っ子が授業を受けたくないのか
その理由を全くもって軽視していることが
言葉や態度から感じられました
学校側の意見を一通り聞いてから
わたしの発言になりました時に
最初に言ったわたしのひと言は
『息子が死なないとなにもかわりませんか?』
でした
この一言で部屋の空気は一変し
この話し合いの意図、どれだけの圧迫を息子が強いられてきたのか
先生方が初めて知ることとなりました
その後
末っ子の気持ち、家族の話しなど
学校側がさまざま受け入れてくれました
その気持ちがあったからなのか
末っ子も学校が用意してくれた対応策でいちどやってみますといい、末っ子がそのように対応したところ、授業を受けることができ、彼なりほ気持ちで彼なりのあゆみで徐々にそれなりな克服をしていると思います
『がんばれ』と言う言葉は
便利な言葉だなーといつも思います
ついその言葉を言っていれば
寄り添いや応援や鼓舞することなど
相手にとって良い言葉ととらえがちですが
それは受け手の立ち位置によるものだと
今回とっても感じました
末っ子は話し合いの時は
ゼロベースからの頑張っている立ち位置ではなくて、崖っぷちに立った状態で頑張ろうとしている状態でした
それを同席の先生方に話すと
みなさん言葉を失っていました
中学、高校、それぞれの3年生はいよいよ受験の始まりです
『頑張ってほしい』という気持ちを
『がんばれ』以外の言葉で表現してみてください