昨日、恒例の
月1お喋り会で
友達に会いに
車を走らせている時に
ふと思ったけど
60代って
お婆さんじゃないよね
50代の時と
できることは
たいして変わらない
仕事も旅行も
同じようにできる
50代の時より
見た目も
体力も落ちるけど
昔母が
童謡の船頭さんを
聞いて
村の船頭さんは
今年60の
おじいさん~
って歌詞に
えぇ~
60でお爺さんかい❓️
新聞に
60の老婆って
書いていて
失礼な❗️60で
老婆だなんてと
いちいち
憤慨してたのを
思い出した
そうだよね~
60代は爺さん婆さんと
呼ばれるにはまだ
早い
それなのに
私がお婆さんに
なったと
錯覚❓️してるのは
孫の存在が大きい
気がしてきた
自分の気持ちとは
関係なく
孫ができれば
祖母になるからなぁ
孫の世話をやらされて
孫にバァバと呼ばれて
敬老の日に
お祝いされて
うちはされた事ないけど
お年玉やら入学祝やら
婆ちゃんらしい事を
やっているうちに
自分は婆ちゃんだと
少しずつ洗脳❓️されて
いったのかも
ブログにも散々
自分のこと
婆ちゃん、婆ちゃんと
書いてきたけど
これからは
自分は婆ちゃんだと
思うのはやめよう
こじんまりと
おさまるのは
まだまだ早い
友達に
私って気がついたら
なんか
すごーくいい人に
なってきてるんだよ
自分でも
気持ち悪いわ
って話したら
毒が抜けたって事❓️
と笑われた
そうそう
私の毒が抜けて
全然つまらない
人間になってる
人それぞれ自分の毒を
持っていて
それがその人の持ち味
で
言ってみれば
人生ご飯の味付けに
唐辛子を
入れるようなもん
だけど
若い時は
激辛の唐辛子を
ジャンジャン
入れていたのに
今となっては
みんなに好かれて
品の良い綺麗な
婆ちゃんになろうと
思うあまり
私のご飯に
唐辛子をかけてないわ
今は
夫に向けてだけ
唐辛子かけている
それだって
以前は
ハバネロ級の唐辛子を
これでもかって位
かけていたけど
今は
七味唐辛子位かな
いい人になるのは
悪い事じゃないけど
毒を抜かれた
いい人だと
砂を噛んでるような
人生ご飯でつまらない
自分の毒は
持っていなくちゃね
毒だって薬に
なることもあるし
表向きは
優しい婆さんを
演じていても
心の中では
漫画の
いじわる婆さん魂を
持ち続けなくっちゃね
いじわる婆さんは
推定75才ですって
あっぱれ
友達とのお喋りは
いつもの事だけど
楽しい
傾聴も大事だけど
聞くばかりではなく
自分の思った事を
さらけ出して
聞いて貰うのも大事
自分には
こういう場があるから
傾聴ボランティアも
できるんだと思う
友達が
他の人と会って
お喋りしても
こんな深くて濃い話
(内容は私の文章力では
書き表せない)
にはならないよ
みんな
当たり障りのない
孫がどうしたや
友達の噂話や
あそこのランチは
美味しいだの
そんな
日常の出来事を
話すだけだよ
だから月1の
この場はすごく
大事って言ってくれて
私も本当にそう思う