山口県下関市とのお付き合いは、もう35年も前に当時下関市議会議員であった下関少年野球協会の会長が、所沢に視察に来訪され、お昼の時間に談話した際に、交流を呼びかけられたことに始まります。
所沢から1000キロも離れた地であり、当然遠征費なども嵩み保護者皆様にご負担いただくのも心苦しいのですが、一年おきに相互にホームステイで訪問したり、下関市と関釜フェリーで結ばれている釜山市と三市交流戦を行ったりして交流を続けて来ました。
そして、下関協会の方々が下関球場を「少年野球選手の甲子園」のようにしたいとの熱い思いで全国から選抜チームを招いた『全国選抜少年野球下関大会』を開催するに至りました。
この大会も今年で22回となりますが、そのような経緯から所沢は第1回大会から全大会に出場させていただいています。
今年も6月16日に各チーム指導者皆様のご協力もいただき「オール所沢」チームが結団され、新所沢東公民館で「所沢少年野球クラブ結団式」が開かれました。
選手それぞれのチームの試合の合間を利用しながら、オール所沢としてのチーム作りですから、スタッフも一苦労です。
チーム強化のためにオール上尾との親善交流試合も恒例となり、今年は7月29日にお出でいただき、航空記念公園野球場で行いました。
練習を続けて来ましたが、8月24日はいよいよ待ちに待った「下関遠征」です。
中井団長とスタッフ・選手団一行は早朝5時40分に所沢駅に集合、6時の特急で東京駅へと向かいました。
東京駅からは新幹線のぞみに乗り小倉駅へ、小倉駅では下関協会の方にお出迎えいただきバスで下関球場に13時半頃に到着しました。
下関球場で京都の八幡チームとの親善試合を行う予定でしたが、台風の影響で八幡チームが遅れ、広島県の「西風五月が丘チーム」に親善試合をお願いし、2対0で勝利しました。
いったん父母はホテルに選手は宿舎に戻り、夕食を済ませて19:00からのナイター開会式に臨みました。私はホテルで皆様と合流致しました。
ナイター開会式では照明に映える天然芝のグランドを前年度優勝の京都府「乙訓オールスターズ」を先頭に、選手たちが行進して整列し開会式が幕を開けました。
主催者あいさつの後、来賓として出席された安倍昭恵総理大臣夫人のご挨拶、そして安倍夫人をピッチャーに、キャッチャーには下関市教育長、バッターには地元選出の北村参議院議員で始球式が行われました。
ピッチャー安倍夫人のナイスストライク
最後は下関球場の夜空を彩る大輪の花火が何発も打ち上げられ、少年選手たちの思い出に残る開会式だったと思います。
翌25日、オール所沢の最初の対戦相手はこれまで第14回から18回まで同県勢で5連覇したこともある沖縄県のチーム「嘉数ジュニア」、接戦を予期していましたが、8対1でコールド勝ち、幸先の良いスタートでした。
第2試合は、第8回と9回大会を連覇した岡山県の「児島ヤングウェーブ」、オール所沢は第1戦選手を総入れ替えして対戦しましたが、先制され追う展開で、代打攻勢で追い上げたものの2対4で惜敗しました。
続く26日は、予選2位ブロックでの順位戦、ブロック優勝を目指し、第1試合は、オール所沢が序盤チャンスにタイムリーが出ず、愛媛県の「桜井クラブ」に2点を先制されましたが、ついにチャンスをものにし全員野球で5対2の逆転勝ちを収めました。
ブロック優勝戦は、これまで、第7回、第11回、第13回大会で優勝し、いつも上位をうかがう地元山口県の強豪「萩維新クラブ」、手に汗握る熱戦が展開されましたが、1対3で惜しくも接戦を落とし、オール所沢は総合6位となりました。
結局、決勝は昨年優勝の京都府「乙訓オールスターズ」が佐賀県の「基山少年野球クラブ」を破って連覇を果たしました。
オール所沢は、もう一歩という結果でしたが全国から集まったチームとの試合経験や海無し県埼玉のチームが下関協会のお取り計らいで関門海峡を見下ろす絶景の宿舎をご用意いただくなど数々の良い思い出を残せたと思います。
対岸に門司港、関門海峡をまたぐ関門橋を目の前にした宿舎からの眺望
大会の後は広島に向かい、中井団長の大学後輩の方が経営するお好み焼き「花子」での夕食懇親会、翌27日の世界遺産宮島の厳島神社の見学、原爆ドーム・資料館の見学、高級ホテルライフ(今年はグランヴィア広島)の体験などを行い、新幹線で東京駅まで、そして貸し切りバスで所沢へと、カミナリ豪雨の影響で少し遅れましたが、無事帰着しました。
スタッフ皆様、30人ものお父さんお母さんと更にはご家族が駆けつけていただき、どういうことか日陰の無い側での応援ばかりになった中を大きな声で応援くださった皆様、下関協会はじめご関係皆々様本当に有難うございました。
平和だからこそ野球が出来る。とても嬉しく大切なことですね。