亜東親善協会玉澤徳一郎名誉会長を団長とする「ありがとう台湾」訪問団総勢二十六名は、六月二十五日から二十八日まで、台湾の高雄市・台北市を訪問し、東日本大震災に際しての台湾国民からの多大なるご支援と友情あふれる励ましに対し日本の人々の心底からの謝意を伝えて参りました。
東北地方と関東地方の沿岸部に未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」に際し、台湾の馬英九総統はいち早く緊急救助隊を組織させ、日本側の要請に応じて直ちに岩手県などの被災地に入り、献身的な救助活動にあたりました。
また物資支援も配慮の行き届いた多品目にわたる品を提供していただき、震災直後のチャリティー番組には、台湾国民から二十四億三千万円もの義援金が寄せられ、この額は日を追うごとに増え、二百億円を超える「世界最高の額」となりました。
人口二千三百万人の国、しかも「民間や小口募金が中心」だったと言われるこの「台湾の人々からの熱い友情と励ましを私たち日本国民は決して忘れない」との思いを込め、亜東親善協会「謝々台湾訪問団」は、二十五日、中華航空にて午後十二時五十五分に成田を発ち、現地時間午後三時四十五分、予定通り高雄国際空港へと降り立ちました。
気温は三十一度、南国の暑さを感じながら専用バスで、先ず「高雄国賓大飯店(アンバサダーホテル)」に向かい、暫く休憩した後、六時にホテルを出て、市内のレストラン「海王子餐庁」で海鮮料理の夕食をとりました。
初対面の団員も居られるので、団長から「自己紹介をしよう」との提案があり、それぞれにお名前やお仕事、抱負などを述べ合って、さながら「ミニ結団式」となりました。
台湾協会理事長の齋藤毅訪問団顧問の音頭により乾杯をすると、話も弾み、皆以前からの知り合いだったかのように和気藹々と楽しい夕食会となりました。
ホテルへの帰路には、通り抜けるだけの僅かな時間でしたが高雄最大と言われる「六合路夜市」なども見物、食材のカエルが並んだ屋台などにビックリしながら帰りました。
翌二十六日は、ホテルでバイキングの朝食をとり、九時にホテルを出発、高雄市政府訪問までの少しの時間を利用して、高雄市郊外の「澄清湖」を観光しました。
水は透明感は無いものの悪臭もせず綺麗で、たくさんの蝶々が飛んでいました。あの中国版ドラキュラのような亡霊キョンシーが真っ直ぐにしか動けないので、防ぐために折り曲げて造った「九曲橋」などの園内を散歩、途中でミツバチの養蜂箱を前にしたロイヤルゼリーの試飲販売なども見物、中興塔の前で記念撮影をして市政府庁舎へと向かいました。
市庁舎では、社会局の張乃千局長に出迎えていただき、市長応接室に通されると、間も無く陳菊市長が入室、玉澤団長はじめ私たち訪問団一同に歓迎の言葉を述べられるとともに、「義援金は、過去の〝台湾中部大地震や台風による豪雨被害〟で日本から受けた支援の『恩返し』でもあり、台湾政府よりも民間の人々、子ども達などが少しずつ寄付したもので高雄市においても多くの市民から寄せられた総和である」と強調されました。
玉澤団長は、「世界最高額の義援金に表される台湾の人々のご厚情に深く感謝の意を述べるとともに、そのお蔭で被災地も水産業などから復興が進み始めている」と現状報告を交えて日本の人々からの謝意を伝えました。
陳菊市長は現在二期目、民主化運動の美麗島事件で服役するなど筋金入りの政治家で、今年六十二歳の女丈夫、蔡英文主席の後任として代理主席を務められるなど民進党の総統候補の一人としても期待されています。
市長は、団員全員の一人一人に握手して見送ってくださり一同も感激でした。
表敬訪問後は、「翰品酒店高雄」にて飲茶料理の昼食をとり、その後、市街西部にある小高い緑の丘、寿山公園に行きました。
ここは、日本統治時代に高雄神社のあった所だそうで、現在は英霊を祀る忠烈廟となっています。天気も良く高雄港や国賓ホテルと近くを流れる愛河、高雄の街並みなどを一望することが出来ました。
次に市街北部の蓮池潭風景区にある道教寺院をお参り、シンボルの龍虎塔を龍の口から入り虎の口から出ると悪行が祓われるとの教えにあやかり通り抜けました。
しばし湖畔に広がる中国らしい極彩色の世界に触れた後、民芸品店で買物などを楽しみながらホテルへと戻りました。
午後六時三十分からは、ホテルの二十階にある「陶然亭」を会場に、高雄市の李永得副市長をはじめ社会局の皆様、高雄銀行蔡会長、福徳宮・関帝廟・高雄県仏教会など宗教関係者、高雄市慈善団体連合会李理事長などボランティア団体の皆様、交流協会高雄事務所の野中薫所長など十八名のご来賓にお出でいただき、『感謝の集い』を開催しました。
高雄市を代表して李副市長からは、歓迎のご挨拶と日本が大震災から早期に復興することを願うとともに台湾と日本の友好がより発展することを期待するご挨拶がありました。
玉澤団長は、大震災被災地の岩手県民の一人としても震災時の台湾からの救助、支援物資、世界最高額の義援金などに対して心から感謝していることを述べ、その援助もあって水産業は九千隻失われた船が約六割再建されていること。津波の影響で海底が攪拌され、ミネラルを多く含んだ海水により豊漁であり復興が進んでいるが、一方、市街地や住宅の再建は、高台に移転するか、元の場所に土を四メートル以上盛り上げて建てる必要があり、五年ぐらいはかかる難しさなど、現状を報告しつつ挨拶されました。
また野中所長(領事)からも台湾への感謝と友好促進への期待が述べられました。
ご来賓皆様は義援金の呼び掛けなどに直接携わっていただいた心温かい皆様ばかりであり、会場は和やかな雰囲気にあふれ、言葉の壁はありましたが、私たち日本人の感謝の気持ちもお汲み取りいただけたものと思います。
翌二十七日は、早朝五時四十五分にモーニングコール、バイキングの朝食を済ませ、七時十分にホテルを出発、新幹線の左営駅に向かいました。
左営発七時五十四分、最短の九十六分で台北に到着する「新幹線一一四便」に乗車し(ちなみに六十五歳からは料金半額とのことです。)、車窓の風景を眺めながら予定通り九時三十分に台北駅に着き、出迎えの専用バスで直ちに「民主進歩党本部」へと向かいました。
民進党本部では、前駐日大使、現在外交政策顧問の許世楷先生が、団を歓迎するご挨拶と先生自身も被災地に行かれた経験を踏まえてのお見舞いの言葉をいただきました。
玉澤団長は、大震災に際しての台湾の支援に対する心からの感謝を台湾の多くの人に伝えて欲しいと被災地の現状報告とともに挨拶されました。
お話は、「台湾政府が石油を値上げしたため他の物価も値上がりしてしまった。今になり石油価格が下がっても上がった物価は簡単に下がらない。政治は先を見通せなければならない」などの政策論議にまで及びました。
続いて十一時に総統府を表敬しました。この建物は、日本統治時代は台湾総督府でした。東京駅のような赤レンガ、白壁、アーチ型の門、ギリシャ古典様式の柱の建物で、戦災に会いながらも修繕して大切に使われており、正に親日台湾のシンボルとも言えます。
総統府では、余新明第一局長にお出迎えいただき、団の歓迎と震災からの日本の力強い復興を祈念する旨のご挨拶をいただきました。
また馬総統は、日本との関係をスペシャルパートナーシップと位置付けて特に重視しており、馬総統一期目で、台日関係はより緊密になったと述べられました。
玉澤団長は、私たちの心底からの感謝の気持ちを馬総統、台湾国民へと是非とも伝えて欲しいと挨拶されました。
総督府玄関の、丁度日本で組閣に際して記念撮影するような階段をお借りして写真を撮り、余局長にバスまでお見送りをいただきながら総統府を後にしました。
十二時より、昼食を台湾料理の「欣葉国際餐飲」にていただきました。
予定時間より早く午前中の表敬訪問の用務が済んだので、団員からの要望もあり宿泊先の「台北国賓大飯店(アンバサダーホテル)」に一旦チェックインしました。
二時には、玉澤団長、張建国副会長など八名が代表して「交流協会台北事務所」を表敬し、樽井澄夫代表(大使)と台湾の親日ぶりなどについて懇談しました。
三時に外交部で団と合流、「亜東関係協会」を表敬訪問しました。
黄明朗協会秘書長が、「私は名前の通り明るく朗らかな性格ですが、会計も明朗です」とユーモア溢れる自己紹介をされ、「馬総統の四年間で、ワーキングホリディ、運転免許相互承認、投資協定、オープンスカイなど台日間の絆はより強くなった。今後税の緩和など投資促進への次のレベルを目指したい」などとのご挨拶がありました。
玉澤団長は黄秘書長にも、大震災に際しての台湾の支援に対する心からの感謝を台湾の多くの人に伝えて欲しいと心を込めて挨拶されました。
今回の訪問のため様々にご尽力くださった秘書課の王瑞豊氏にもお礼を申し上げ、次の訪問先の「国民党本部」へと向かいました。
四時には、国民党本部を表敬訪問しました。
江丙坤国民党副主席、海峡交流基金会理事長より大震災への心からのお見舞いの言葉とともに、台湾の対中政策を日本に説明する重要な任務を担う江氏らしく、「馬総統は日本との関係を特段に重視しており、これまでの台湾の経済発展は日本に負う所が大きいと考えている。その関係を第一としながら、大陸との両岸関係と台湾・中国及び台湾・日本・中国の経済関係の安定を図るために台日ソフトパワーを強固にして大陸と対峙して行くことが馬総統の大陸政策である。日台ビジネスアライアンスにより中国市場へ進出するなど、日本にとっても有益である。」などと説明されました。
玉澤団長は、被災地支援への感謝と現状報告とともに、中国が軍事的野心で過去の日本陸軍のような過ちを犯さないことと台湾が中国に飲み込まれないように望むとの見解を述べられました。
これで予定した表敬訪問の日程を全て終え、ホテルへと戻りました。
午後七時からは、ホテルの二階にある「聯誼庁」にて、台日友好議連会長李鴻鈞立法委員、亜東関係協会蘇副秘書長、中華民国紅十字会呉秘書長はじめ紅十字会の皆様、陳玉梅台北市議、交流協会台北事務所の樽井所長(日本大使)などのご来賓にお出でいただき、『感謝の集い』を開催しました。
台湾側を代表して李立法委員が流暢な日本語で挨拶され、ここでも「東日本大震災への支援は、日本からの台湾中部地震、台風豪雨などに対する支援の『恩返し』である」との言葉をお聞きしました。
大震災追悼一周年式典で、台湾代表に指名献花をさせなかった日本政府の非礼にも、「親戚に気遣いは要らない」と言って下さった台湾の人々の真心をつくづく感じました。
玉澤団長も、「大震災に際しての世界最高額の義援金をはじめとする多大な支援と友情に励まされて被災地は水産業などから力強く復興を進めている」と現状を報告し感謝の気持ちを台湾全ての人に伝えて欲しいと挨拶されました。
台中市から慮千恵夫人と駆けつけてくださった許前駐日大使、樽井日本大使からもご挨拶をいただき、TシャツやCDなどを友人と作成し義援金に充てた新北市の康橋双語学校中学部の徐君なども紹介され、本当に子ども達から大人までが日本支援に立ち上がってくれたのだと実感しました。
二十八日は、いよいよ最終日、朝食の後ホテルを九時三十分に出発、台北四大外国人観光地の龍山寺、中正紀念堂を見物しました。
龍山寺は、本尊観音菩薩とともに道教、儒教などと習合した台北最古の寺院です。
中正紀念堂は、初代総統蒋介石を顕彰した宮殿陵墓式の施設で、中正は蒋介石の本名、国家戯劇院、国家音楽庁なども併設された公園となっています。
また、エバーリッチ免税店にも立ち寄りました。
昼食は、陳水扁総統時代の総統府国策顧問として活躍された明治製菓製薬社長の方仁恵先生が、民進党関係の皆様とともに玉澤団長と訪問団一行を歓迎したいと強くお申し出くださり、お言葉に甘えました。
昼食会場に着くと、新台湾国策シンクタンクの呉理事長、自由時報の呉社長、羅元駐日大使、涂元厚生大臣、陳民進党女性部長など二十名ほどの民進党関係の皆様が集まっておられました。
ほとんどの方が日本語に堪能で、日本との友好とともに台湾独立や国連加盟などの政治談議となりましたが、残念なことに飛行場に急がねばならず、名残を惜しみつつ再会を約束してお暇致しました。
二時にレストランを出て、専用バスで桃園国際空港へと急ぎ、幸い高速道路の渋滞も無く、車中では、玉澤団長より「団員の皆様にお礼と成田にて解散のご挨拶」などをいただきながら、三時には空港に到着しました。
空港で帰国手続を済ませ、四時三十五分発の中華航空一〇六便に搭乗しましたが、離陸はやや遅れて五時近くになりました。