こんにちは!並木かつみです!


昨日、2013115日をもって議員を辞職いたしました。


約12年間の議員生活でありました。

辞職願を出すときはさすがにこみ上げるものがありました。

少し長くなりますが、自分の12年間を振り返り、総括してみたいと思います。

思い返せば、この議員生活では様々な出来事がありました。

様々な難しい選択を迫られ悩みに悩み抜いた12年、たくさんの人との出会いに励まされ、教えられた12年、理想と現実の狭間に、民主政治の在り方、政治家の在り方を常に突き付けられた12年間でした。

政治を志したきっかけは、祖父や父が地域貢献に奔走していた背中を見て育ち、地域に根差す中小企業の経営や、自らの子育てを通して、地域経済のつながりや地域住民のつながりの力とその可能性を実感し、そこに身を投じてみたいと考えたことも一因にあります。東久留米に生まれ、東久留米に育ち、東久留米に骨を埋める私だからこそ、このまちのことを主体的に考え、行動したいと考えたのです。

国政や都政のような大きな単位とは違い、市政のありようによっては最も密接に人と人がつながり、その生活にも大きな影響を及ぼします。


まちづくりは人づくりともいわれます。

私は、まちを動かす原動力は市民の皆さんにあり、そのハートが大切だと訴えてまいりました。


そして、政治というものは、市民の皆さんとしっかりと連携し、ビジョンを示しながら前進させていくものであると考えてまいりました。


初めて政治の世界に飛び込んだ時の資料に「市民の皆様のハートが原動力」こう記しておりました。

若いころの自分のその想いは、12年経った今も、まったく変わっておりません。

常に「現場の声」を意識し、「現場主義」を貫き、市民生活の中に飛び込んでまいりました。

12年間の中でも、4年前の市長選挙への出馬は、自分の政治道を貫き通すことを試された非常に大きな決意でもありました。

この時の大きな争点として、大型商業施設の誘導の是非や保育園の民営化に関する是非が問われておりました。


当時の野崎前市長の政策に反対し、大型商業施設反対、民営化反対の立場の馬場現市長の出馬が先に表明されておりました。覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが、反対運動も激しく、大型商業施設は必要ない、との世論が大勢を占めそうな勢いでした。


財政健全化、行財政改革を推し進める野崎前市長を支え、大型商業施設の誘導推進、民営化賛成の立場で政治活動をしてきた私にとっては非常に厳しく苦しい立場でもありました。


そんな厳しい中でも、当時出馬を決意したのは、やはり「現実」は、この行財政改革を進め、財政を健全化させなければ、この東久留米市は破たんしてしまう、という一心からでありました。


そんな状況の4年前も多くの市民の皆様に共鳴していただきながらも、想いを伝えきれず落選という残念な結果に大きな責任を感じ、政治の道を断念しようと考えていた時期もありました。

しかしながら、選挙で選ばれた市長にも拘わらず、当選後まもなく、選挙で負けた私が訴えてきたことに近い方針へ、方針転換のプロセスも不十分なまま転換することになりました。私の訴えてきたことこそが市政の「現実」だったことの証左であると思います。


しかし、いうまでもなく選挙は、その公約を支持し、期待した方々が一票を投じるものなので、当然、選挙で市長の公約を信じ一票を投じた市民も混乱し、さらには議会も混乱するという状況に陥ってしまいました。

本当に残念なことですが、民主主義、地方自治を鑑みるうえでも、東久留米の未来を見据えるうえでも、非常に憂うべき状況になってしまったのです。

そんな中、市長選挙に負けた人間としては、賛否は分かれることとは十分承知ではありましたが、私は市政の現場へ復帰する覚悟を決めました。2年前の市議会議員選挙です。

「現場」に戻って、市政をしっかりチェックしなくては、財政のひっ迫した東久留米市は本当に破たんしてしまう。行動しなければならない。そんな危機感が自然と自分の心と体を動かしていました。

市議会に戻ってからも、私の想いはひとつでした。

市長の方針転換にはじまる混乱の中でも、東久留米の財政の危機的状況は変わりません。様々な予算、議案に対する賛否も、常に「現場主義」そして「東久留米の未来に責任を持つ」という思いでバランス感覚を以って判断してきました。

私にとっても、時には厳しくつらい判断もありました。市民にとって何がよいのか、難しい局面に悩むこともたくさんありました。市議会とは、市政とは、と自問自答した日々でした。

しかし、いつでもここに暮らし、ここを好きでいる人達と共に支えあって生きてきました。実際にまちづくりの中に溶け込み、ともに汗をかいてまいりました。そんな「現実」が私の政治的判断を支え、信念をぶれさせることはありませんでした。常に未来に向かっての判断をしてきたつもりです。


「東久留米が人に優しいまちであるために、力強いまちにしなければならない」


若い頃のように勢いで走ることは少なくなりましたが、その代わり、たくさんの得難い経験の中で、大切なものもたくさん見えてきたように思います。


常に理想と現実のバランスを保ち、信念を貫いてきたことに関して、私の12年間の政治道はまったくぶれなかったということは、自ら誇れることだと思っております。

もう、停滞する東久留米は終わらせ、未来へ新しい一歩を歩みださなければならないのです。

そして、このたび、この議員生活を締めくくりました。

今回の新しい一歩は、自分の政治道の更なる挑戦でもあります。

新たなステージに向けて、常にぶれることなく、もてる力、全力でぶつかっていきたいと思っています。

しかし、東久留米市は待ったなしの厳しい市政運営が強いられております。

もう、立ち止まっているわけにはいかない。

市民の皆様にも、聞こえのよい言葉やイメージにとらわれることなく、ぜひ現実を見てほしい。

「理想」を掲げつつ、「現実」に地に足のついた市政運営をすることこそが大切なのです。

私はずっと「東久留米の現実」を見つめ続けてきました。


東久留米の魅力でもある水と緑や、地域のつながり、伝統文化の継承、消防団活動などを通じての防災意識、実家の農業を通じて都市農業経営の厳しさや課題など、まさに実態として現場で体感してまいりました。


東久留米のまちづくりについての想いを持つ多くの人とも出会い、まちづくりについて大いに語り合ってきました。地域の楽しいイベント企画を通し、子供たちの笑顔にもたくさんエネルギーをもらってきました。


私自身も、子育て世代でもあり、高齢の両親を抱えております。サラリーマン生活も企業経営も経験し、地域の経済の活性化の必要性は実体験としても十分認識しております。


また、近隣市の同志の皆様、都政や国政といった人脈もさらに広げることができました。周辺と連携をとることの重要性も東久留米を強くする第一歩になると考えています。

このような様々な貴重な経験や出会いが、すべて、自分の血や肉になり、自分の力になっていることを感謝したいと思います。

そして長い歴史の積み重ねの中で、今まで多くの人の手によりこの東久留米という地域がつくられてきたことを意識しなくてはなりません。


「しがらみ」という言葉は悪いイメージで使われることが多いですが、人間であれば誰しもしがらみの中で生きていかなければなりません。その一見面倒くさいしがらみの中にも、大切なものが隠れていることにも気付かされました。「しがらみ」も言換えれば「絆」になるのかもしれません。


その上で、何ができるか。どうするかなのだと思います。歴史や文化、暮らしを大切にしながら、東久留米をさらに魅力あふれる活力ある地域にしていかなくてはなりません。

政治という、自らをさらけ出し、厳しい目にさらされる仕事をなぜ選ぶのかと不思議に思う人もいらっしゃるかもしれません。もっと別の道があるのではないか、実際、私も悩み迷いました。

しかし、だれかがこのふるさと東久留米の未来に責任を持ち、確実な道筋をつけていかなければならないのであれば、その役目を自らが行動し果たしたいと決意するに至りました。

だからこそ、今回こそ、しっかりと皆さんにお伝えしていかなくてはならないと考えます。

私は常にこの東久留米とともに歩んでまいりました。

これといって何もない町かもしれません。

でも、皆さんの大切な地元です!大切な故郷です!

東久留米の東久留米らしさを無くさないためにも

前に!未来に!力強く元気な東久留米をつくってまいりましょう!

政治家が駅に立って演説するだけではだめなのです。

政治家は一人では何もできないのです。

皆様には、共に考え、共に行動する「東久留米の原動力」となってほしい。

市民の皆さんの協力がカギなのです。ともにこのまち、東久留米と歩んでください。

以上が私の12年間の議員生活の総括、そして、未来への決意です。

長い文章を最後までお読み下さり、ありがとうございました。