ご存知ない方もいるでしょうか、今、東久留米市政が揺れています。
 
馬場市長が公約違反として、その政治姿勢が問われているのです。


東久留米という、東京のはしっこの小さい市で起きているこの事態は
実は、私たち日本人にとって大切な問題をはらんでいるように思えてならないのです。


選挙とは、政治とは、民主主義とは、市民の声とは、幸せとはなんだろうか。


市長選挙後、落選した私は、ずっと自分に対しても問うてきました。


市議会議員時代から、市長選挙を戦う最中も、そして落選した今も、
東久留米に対する想いや考えはまったく変わっていません。


現実を見据えた政策で、なんとか東久留米の将来を明るいものにしようという決意でした。


市長選挙には、市議の立場とは大きく異なり、大いなる責任を伴うことも
覚悟の上の出馬でした。
まさに想像を絶する試練が待ち受けていることを理解したうえでの覚悟です。

急な出馬ではありましたが、多くの市民の皆様に支えていただき
なんとか選挙戦を戦うことができました。



・・・しかし、残念ながら、僅かな差で敗れました。



残念ではあるが、それが民主主義。それがこたえなのだと潔く身を引いて、
馬場市政、東久留米市の行く末を見つめていこうと思い、
馬場市長には若きリーダーとして東久留米市の再建をしてほしいと願っておりました。


思えば市議時代の馬場市長とは
野崎前市政を支える立場の私と、攻める馬場氏という構図において
友人という側面もありながら、考え方の相違があり、幾度となく議論を戦わせました。


私には私の、彼には彼の、政治的信条があったのだと思います。


そして、市長選挙。


対極な考えの私たち2人の一騎打ち。


イオンに賛成の私、反対の馬場市長
民営化についても、私は推進で、馬場市長は反対
改革をすすめるのか、稲葉市政時代にもどるのか。


本来ならば、そういうことが問われる選挙であったのです。


しかし、時はまさに政権交代、民主党ブームであり、国の政局がらみにはなってしまったことで
自民対民主、というような構図を想像された方も多かったかと思います。


現に、今まで野崎市政の改革路線を自民党とともに支持してきた東久留米民主党が
国政の流れを強引に引き入れる方向に舵をきり、

政策が相いれないはずの共産党などとともに
野崎市政に反対の立場をとる社民系馬場氏支援にまわったことで

東久留米の市政にひずみが生まれてしまった。


民主党の追い風を利用したい馬場氏は選挙重視で政治理念や信念は置き去りになったのかもしれません。


これは馬場市長本人がしかけたことでもあり、
あらためて選挙ありきで、全く市民のことを考えている行動とは思えません。



東久留米にとって、この市長選挙のありようは不幸であったのではないでしょうか。



ひいては、政治のありよう、政治家のありよう、選挙のありようが問われるべきだと
思うのです。


政治家は、常に現実を見据え、常に市民の代表として、その信託を受けて仕事をしているということを
絶対に忘れてはいけないのです。


また、選挙は政局ではないのです。


そして、今。
馬場市長は、公約違反に問われています。


私は、ともに政治を志すものとして、
ともに市長選挙を戦ったものとして
「言葉」をもてあそんだ馬場市長に対しては、非常に残念な気持ちでいっぱいです。



しかしながら、私がずっと主張してきたことは間違っていなかったのだという確信は
さらに揺るぎないものとなりました。


今回の件は、私自身、政治家の原点を見つめなおすよい機会となりました。

これを自身の心の糧として、今後の政治活動に常に生かしていきたいと思っています。



自分のことに精いっぱいではなく、東久留米市のために汗をかく人間であり続けたい!



今回は申し訳ありません・・熱い想いがこみ上げてきてしまいました・・・最後までお付き合いいただき感謝します。