北の果てからコラム。 3/30~
「いじめについて。無くすのではなく適度にモヤモヤを発散させる」
今年度もあと2日で終わる。1年振り返ってみて大きな病気・怪我もなく終えることができたのは良かった。 能登半島地震、災害・戦争などあたりまえの1日を過ごせると思っていた人たちの日常が奪われてしまうことが多い世の中だ。
あたりまえの日常・大病なく過ごせていることの幸せを噛み締めて、また1年生きてきたいと思う。
今日はいじめについて、考えてみようとおもう。
春からの新学年、新学期でわくわくしている子がいる反面、不安な思いをしている子どもだって多いんじゃないだろうか。
今をいきる子どもたちには良くも悪くも情報過多すぎる世の中だ。簡単にスマホで世界中と繋がれてしまうし、陰湿なSNSを利用したいじめや嫌がらせも多いんだろう。
もし、自分が学生時代をやり直せると言われたとしてもやり直したいと思えるだろうか。わたしはいわゆる「イケてないグループ」側だったし、いじめもそこそこ受けてきた弱者側の人間だった。
わたしは周りになじむことがとにかく苦手で、無理にグループで行動したりという集団生活も苦手だった。そんなストレスだらけの小さくて悪意も多い社会のなかで生きている子どもたちには同情する。
以前読んだ本にこう書いてた。
「子どもがもつ攻撃性、残忍性は少なからずあり、この感情は無くすことはできない。だからほどほどに発散させることが大事なのだ」
そしてこうも言ってる。
「だからサバゲーをこどもたちにやらせればいい。もしくは安全な格闘技なんかもいいだろう。ほどほどに子どもたちの攻撃性を発散させることが重要なのだ」
本当にそうだとわたしも思う。あいつより上だ。あいつをバカにしてスカッとしたい。仲間たちと笑い合いたい。そんな大した理由じゃなくいじめを始めてしまうのはよくあることだ。(無論やられた方はたまったもんじゃないが)
それを大人たちはいじめはよくない。みんな仲良くしましょうなんて綺麗事をならべる。本当にクソだ。そんな当たり前のお説教でいじめがなくなるなら誰も苦労しない。もっと子どもたちの凶暴性・残忍性と向き合わなければいけない。
その悶々とした闘争心や攻撃性をわかりやすく、後腐れなく発散させてあげれば世の中のいじめはかなり減る気がする。
怒られないようにこっそりとじっくりといった令和式いじめから昭和の河川敷や喧嘩スタイルに近い、オープンな解決スタイルに変えてみてもいいのではないか?
もし私が私立なんでもあり学校の理事長になれたら定期的なサバゲー・スポーツチャンバラなどを開催していじめ発生件数が減ったかどうか試してみたい。
どこかに私のアイデアを採用してくれる学校関係者はいないだろうか。馬鹿みたいなアイデアと思われる人もいるだろうが、この国で毎年自ら命を立つ子どもや不登校になってしまうこどもたちの数を考えたら小馬鹿にできる問題ではないのではないか?
願わくばひとりでも私のコラムを読んですこしでも心が軽くなりますように。あなた達のこころの平和を北の果てから祈っています。