一般社団法人浪江町地域文化フォーラムです。

2025年12月19日、中世の牛渡氏の居館址を確認に行きました。『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)には「古舘址」と記されているところです。次のように記されています。

 

-------------------------------------

 

  古舘址、平地在大添、古昔牛渡氏居焉、

牛渡氏小野姓猪狩氏流也、号牛渡播磨重清、標葉郡主平持隆勲臣称七人衆者之其一也、當標葉清隆之世、家泯於是、牛渡美濃清忠〈重清嫡男〉為相馬之臣、采地依𦾔出軍役五騎、後有故、没采地、有二子、長曰治部允盛清、次曰近江清包、共走岩城、当 顕胤公之時、為岩城襲富岡堡、盛清戦死後清包被赦、皈于相馬、盛清子曰八郎右衛門宗清、為郡山氏、被育居両竹邑、學陣螺、得其妙、数有戦功、賜采地、移居太田邑別所、其子太郎左衛門保清元和三年没采地、居小野邑其子太郎左衛門實清移中村、世々相續矣、我藩称牛渡氏者皆此同流也、

 

-------------------------------------

 

『樋渡・牛渡の六百年』(浪江町樋渡・牛渡行政区、2003年)に牛渡氏の居館址について空濠が遺されていると記されていたので、該当する地域を歩いてみました。大字牛渡字大添には該当する空濠は発見できませんでしたので、ご存知の方はご教示ください。

 

【牛渡氏の居館址近くの牛渡陸前浜街道踏切】