アレスの天秤およびオリオンの刻印における主人公

稲森明日人

 

彼はなぜ嫌われるのか

なぜ円堂や天馬のような扱いにならないのか

 

以前から私が出している答えは

「入れ替えてみて同じだと思えない要素は同じとはいえない(つまり明日人を円堂や天馬と入れ替えても同じとは到底思えないから)」ですが

「明日人は円堂や天馬とは立場が違うんだから単純に入れ替えただけでは成立しないのも当然」

という反論が聞こえてきそうなので

それに対するさらなる反論を交えてお話しします

 

【イナズマイレブン主人公定期 余計なお世話・人に迫る】

まず円堂が豪炎寺に迫ったのは部員のいない雷門中、ひいてはサッカー部に

木戸川清修という明確にサッカーをやったことのあるバックボーンがあり、

それを裏付けるようにすさまじいシュートで円堂(もしくはKFCの子供)を

不良から助けてくれた実績があるストライカーが転入してきたこと、

それをスカウトしたいという極めて自然な思いから。

サッカー部を1から立ち上げた主将として廃部危機を逃れ、

全国最強クラスの帝国学園との練習試合に備えて

強力な部員を補充しておきたいという意図があっても

なんら違和感も嫌悪感もありません

だってそれは主将としてチームを勝たせるためには当然の行為であり、

むしろこれをやらないと円堂が言葉だけのただの熱血勘違いバカになってしまいます

加えて円堂時代は全員がサッカー未経験に等しいレベルで、

豪炎寺のような経験者、それも勝利につながりやすい得点を運ぶエースの存在を欲しがるのは至極真っ当です

もちろん円堂本人は主将としてとかそんな浅ましい打算的な理屈ではなく

本能で「コイツと一緒にサッカーがやりたい!」って思っただけかもしれませんが。

しかしそれでも事情を知った後は一線を引いて勧誘を打ち止めにしています

円堂には自分が他人の繊細な事情に突っ込んでしまったかもしれないと

誰に言われるわけでもなく空気を読んでそれを理解し、

自身の行為を間違いだと思ったら「ごめん!」と目の前の相手に向かって

素直に謝れる清々しさ さわやかさが存在します

「なに自分に負けてるんだ。簡単にサッカー諦めんな!」って

言ってきそうな円堂がこれだけ機敏に人の心や信条に気を配れるほどの人間なんですよ

この利己と利他のバランスが絶妙だからこそ人は円堂を信頼できるんです

コイツとサッカーできたら最高に楽しいだろうな、でも人には人の事情があるしと

我を通して無理やり勧誘するのではなく、当初の豪炎寺のスタンス・主張である

「サッカーはもう辞めた。俺に構わないでくれ」を守って

喉から手が出るほど欲しい豪炎寺を「一度きりの助っ人」として身を引き、

豪炎寺に頼るんじゃなくて雷門サッカー部に

明確な意思の元所属する、円堂の勧誘に同意したみんなでやっていこう!と

決めたんです。全く押し付けがましくないですよね

豪炎寺もそんな円堂が引っ張る気持ち良いチームだからこそ

最終的には自分の意思で試合に参加しています

 

また、円堂の熱さはチームのキャプテンとして、先をいくものとして

本当にこれでいいのかと投げかける、諦めることですべてを無くしてしまう

ことへの警鐘を鳴らしているのであり

安直なうざさにはなっていません なぜなら円堂は相手のことを真に思っており

そのうえで諦めるな、お前なら絶対にできる、俺も一緒に頑張る

と行動とともに示しているんです

また、それだけの言葉を言う資格は誰もが無理だと諦めた帝国戦を最後まで逃げずに

諦めずに立ち向かい、日々の努力は絶対に自分を裏切らないと毎日毎日タイヤ特訓した結果ゴッドハンドを完成させ敵のシュートを止めた円堂には十分あります

諦めるな 諦めなければ絶対にできるっていう言葉は

円堂自らが率先して実践しており、実際に結果まで出して証明してくれています

だからみんな円堂を信頼できるんです

だからみんな円堂についていこう、ただ支えられるだけでなく時には自分たちで

円堂を支えようと考えるようになるんです

そんな円堂だから敵の心をも惚れこませることができるんです

 

天馬も円堂と同じで諦めかけた心や自分を偽る気持ちに

「本当にこれでいいのか」と語りかける役割があります

それをやらないと、否それをやらずにどこか見過ごしていたからこそ

毒に蝕まれ続け、ずっと苦しんできたわけです

天馬の行為はいわば救済であり、円堂の魂を正しく受け継いだ主人公なわけです

本当のサッカーを取り戻すのはサッカーのあるべき姿を取り戻すために必要不可欠な行為であり、

決して自己都合で「自分のやりたい熱いサッカー」を周囲に押し付けているわけではない

むしろ試合の勝ち負けまで管理された今のサッカーはおかしいということは

天馬のみならず全員が心の底でそう思っており、いうならば仲間・同士に語り掛けているのです

剣城をあの時点でライバルとみなすか仲間とみなすかは

議論の分かれるところではありますが、

これに関しては両者のスタンスが対比になることで

キャラの立て方につながっているので問題がないです

 

↑確かゲームのみでアニメにはなかったシーン。勿体無いな〜て思ってました。

 

それにいうならばこの場面ってそれまで悪童にしか見えなくて得体のしれない剣城が

初めて自身の感情を爆発させたところであり、剣城の信念が垣間見えた良い描写ですよね

剣城だってずっと苦しんできたんです

兄弟の大好きだった本来やりたかったサッカーに蓋をして

仮面をして、欺き続けてまでも贖罪のためのサッカーを続けること。

でも命令が続けばいずれ自分の手で誰かのサッカーを奪わなければならなくなる

二度とサッカーをできなくさせなければいけなくなること

「自分のせいで誰かのサッカーが奪われること」を恐れ、

悔いている剣城はそんなこと望んでいません

それまで立場上どうあっても相容れない敵であると思っていた剣城が

実は助けを求めて苦しんでいた仲間だったんです

天馬はそんな剣城を救ったんです

 

おかしいものにはっきりとおかしいといえない理不尽さ、不条理さと戦うのが

天馬であり、そこには自身の掲げるサッカーのみならず人に対する理解と感情があります

そんな自分を偽って蹴るボールなんて、

本来大好きなサッカーをそんな風にプレイするなんて

「サッカーが泣いてるよ」なわけです

 

一方で肝心の明日人はというと灰崎がやる気を出さないことにしつこく突っかかり、

動機が他人の又聞きで復讐だとわかるとそれを本人に直接確認し

デリケートな部分に触れられた人間の心情がどうなるかなど考えず、

あろうことか理解すら示さずに

「復讐のためにサッカーをするなんてよくない」と灰崎の信念を否定するような

ことを言って灰崎を激怒させているわけです

これいってしまえば剣城に

「剣城はお兄さんのためにサッカーをしてるんだよね。そんなサッカーをするなんてよくない」

って本人に言ってるようなもんですからね?

とんでもないノンデリクソ野郎ですよ

天馬も円堂も本人にそれ以上踏み入る真似はしなかったし

自己都合を押し付けたことなどありません

一番近い例でいうと円堂と鬼道の関係だと思うんですが

円堂は鬼道が音無のために戦っていたことを影山から聞かされていても

それを鬼道に直接「そんなものはお前のサッカーじゃない」みたいな

ことは言いませんでしたしむしろ鬼道の心情を察して

自分の本来やりたかったサッカーに揺らぎが生じたほどでしたからね

ああ見えて円堂ってかなり繊細に人間の感情やその機微を受け取る能力があるんですよ

そもそも明日人はキャプテンでもない天馬のポジションなのに

だれからも望まれていない灰崎の改心を進んで行い、

熱いサッカーに集中しろって言っているんですよ

大事なのは天馬の「サッカーが泣いてるよ」はサッカーを悲しませたくない

天馬の自己都合で言っているわけではなく

ボールを蹴るその人の心情に寄り添って辛いよ、悲しいよって言っているということです

明日人の主張ってどう聞いても「お前のやっていることは本当のサッカーじゃない」

って言っているようにしか聞こえないんですよね

いやいや天馬の時だけ随分都合のいい解釈をして、

明日人は嫌いだから結局辛辣に評価しているだけじゃないか

明日人だって復讐に囚われて自分のやりたいサッカーを見失っている灰崎を

救っているかもしれないじゃないか。何が違うんだ

などと思うかもしれませんが

だったらせめて明日人にももう少し灰崎の気持ちに寄り添う描写でも与えたらどうですかね

たとえば灰崎のオーバヘッドペンギンを受けて、あるいは

灰崎のサッカーを受けて「灰崎の蹴るボールはすごく悲しそうだった。やり場のない怒りをサッカーにぶつけているみたいな。なんだか灰崎、サッカーをやってて楽しそうじゃないよ。大好きなサッカーをしながら苦しんでるよ」

(※モロ天馬の受け売りだしパクリだし二番煎じだけど)

こんな風に言っておけば自分の主張よりも相手が苦しんでいることに

寄り添っているようにみえますよね

もちろん押し付けがましいことは一切変わらないし、

灰崎からすれば結果を出している自分がどういうプレイをするのかなんて

足並みをそろえる必要から相互理解が望ましいチームメンバーですらない

赤の他人である明日人にとって何ら関係ない「余計なお世話」なんですが

心が揺らぐ描写として、自分にとっての理解者であった茜を失った今

復讐のためであったはずのサッカーを通じて新たな理解者を得たんじゃないかって

考えることができますよね だって灰崎に寄り添っているんですから

明日人の主張でスポットを当てるべきなのは

「楽しいサッカーをやらない灰崎」ではなく

「自分に嘘をついて苦しんでいる灰崎」です

(まあ、灰崎はやりたくもないサッカーをやって苦しんでいるわけでもないし

これを解決したところで何の意味もないそれこそチームではない明日人にとって

関係ない話なのでやはりこの問題は設定からもう無理があると結論づけられますね)

 

でもアレスの天秤での描写はどう好意的に見ようとしてもそうなっていないんですよ

 

ダメ押しにこいつ最終回で野坂と灰崎の信念をかけた戦いに割り込んで

「(二人の信念について)わからないわかろうとも思わない」みたいなことを

言いましたからね

寄り添うつもりなんて、理解するつもりなんてさらさらないから

黙って俺の好きな熱いサッカーをしろ

って言ったんですよ

この手の「君に何がわかるんだ」系のテンプレに

わからないって答えるのは王道主人公の定番ではあるんですが

これ、明日人が言うのは何か違いますよね?

明日人の母親が亡くなったのって別に何の因果関係もないですよね。

で、明日人の信念って「伊那国島にサッカーを取り戻す」ことと

「日本サッカーのてっぺんに立って天国の母親にそれを届ける」

だと思うんですけどそれって自分の好きなクリーンなサッカーでなければ

ならない必要性ってありますかね?

要は自分にとってベストなサッカーを、天国の親に恥ずかしくないプレーで

頂点に立ちたいからっていう自己都合を周囲に押し付けてるってことですよね

灰崎はずっと友人を廃人同然にした敵を倒すためにサッカーを続けてきました

野坂は両親に裏切られ、自分がこの世に生を受けたことにどんな意味があったのか

その答えを見つけるために全力で戦っています

その在り方が自分の気に入るクリーンなサッカーではなかったから

両者を責めているわけです

以前どこかでも書きましたが明日人って基本的に

自分のわがままは通すけど他人のわがままは通さないよっていう人なんですよ

 

100歩譲ってこれを、クリーンなサッカーがやりたいっていうことを

明日人のわがままじゃないとして捉えたとしても

それを指摘して助かる人間っていますっけ

目に見えて明確な不正行為を行っているわけでもなく、

自分のやりたいサッカーに蓋をして悪行を行っているわけでもなく、

灰崎、野坂は自分の信念に従ってプレーをしているわけですが

その信念をあっさり否定されて、

サッカーが好きだったっていう原理主義を呼び起されて救われるって

その程度の信念なんですか

で、これアレスでこんな感じなんですが

オリオンでもこういう子供じみた駄々こねしますからね

いや、あのいい加減にしてほしいというか…

もうそれアレスで散々見たから。あなた成長してないんですか?っていうか…

 

灰崎の信念を否定することと

豪炎寺や神童のようなやりたいのに諦めてしまった心に火をつける行為は

全くの別物です

天馬に関してもやはり天馬が破壊者に見えてしまうから

単に新キャラを受け付けないだけの層、天馬が聞き分けのない子供に見えた層などが

去ってしまった雷門二軍、革命を推し進めたことで消えた久遠監督、そして消えた南沢

これに対して我慢できなくなった倉間の「こうなったのはお前のせい」という

発言に賛同して相当なアンチがわきましたが

別に天馬が転校してきたから二軍が辞めたわけじゃないし

最終的にシュートを打つという判断を下してフィフスに反旗を翻すと決めたのも

サッカー部主将神童の判断であり、天馬のせいと安易に断定するのは

筋違いも甚だしいただの八つ当たりです

実際サッカーと正しく向き合うことで物語は革命へと大きく進み、

バラバラだったチームメイトはつながりあって固い結束を生みましたよね

いうならばようやく勝負の土台に乗ったということで

天馬の行動には意味がありますよね

ダメ押しといわんばかりにチームがひとつになったことで倉間は改めて自分が

言い訳をして自分の努力を棚に上げていたことに目を向けて

悔しいって本音を述べますよね これって描写としても

キャラの心情としても非常に良い変化ですよね

 

灰崎の信念を否定しなくても灰崎って強いですよね…

自分はそもそも勝負に負けているくせに偉そうに上から目線で

復讐はよくないって結果を出している相手の信念を否定しているんですよ

ちなみに天馬は初日の対決で剣城からボールを奪って勝っています

円堂もデスゾーンを止めて対決には一応勝っています

勝っているから自分の掲げる信念が正しくて、

それを誇示しないからこそ相手にも自然に正しいと認められるんですよ

つまり行動で示さない・行動が伴わない信念には何の意味も説得力も生じません

ダメ押しに円堂も天馬もライバルの信念を否定したことはありません。

ギリギリ入るのって円堂がグランに対して

「最強だけを求めるサッカーが楽しいのか?」っていったこと

くらいですがそもそもエイリアの破壊活動はたとえ親のためとはいえ

到底正当化されるような行為じゃないので

「お前たちのやってることは許せないけど、俺はサッカーの楽しさをお前たちにもわかって欲しいんだ」

と言えるわけです。

立場に縛られず、サッカーで人を傷つけたり悲しませたりするような

サッカーを破壊の道具にするんじゃなく、

そんなにすごいプレーができるんだから

一緒にサッカーやろうぜってことで

そもそもイプシロン改戦のこれもエイリアが吉良のために

戦っている子供達って事情を知らないうえで

(エイリアを本当にサッカーで支配を望んでいる宇宙人だと思っているうえで)

言っているセリフなので別に押し付けがましくはないです。

明日人は事情をわかったうえで食い下がっていますからね

しかもプレーを見れば本気でそう思ってるかどうかなんて

すぐにわかるものを目を見て本気だと思っただけで

取り下げましたからね。

でもやっぱり根本は理解していなかった。

何故灰崎が復讐のために戦うのか、

真に憎むべき相手は誰なのか、

野坂や灰崎、大人によって苦しめられた子供が

どういう信念をもって過酷な現実と向き合っているのか

 

それさえ理解していなかった。

 

 

円堂や天馬のような努力や諦めの悪さからくる

得体のしれない底知れなさ、ガムシャラガッツが持つ強さを

明日人からは感じません

明日人の行動が評価されるのって

全国大会で勝ち続けることで目的を失った灰崎にもう一度

情熱を取り戻してほしいって頑張っていたところだけですよね

あそこは一応全国クラスの相手と何度も戦い勝っているという実績のもと

そうした姿勢を示すことの筋が通っており、気持ちよく応援できましたよね

その後の決勝戦の発言で全部台無しになりましたが…

 

こんなものがグリフォンやゲームで同じ脚本を書いていた人物が

生み出したキャラだとは死んでも思えません

ゲームやアニメでのあの円堂像や天馬を生み出し、

それを理解している人物があんな頭と中身空っぽの円堂をだしたり、

こんなめちゃくちゃな主人公明日人を作り出すはずがないですもんね

 

所詮明日人は円堂や天馬の主人公らしさを、

雷門魂を表面だけ捉えて作られた安易な偽物

サル真似に過ぎません

 

熱血をはき違えた「度を越えた余計なお節介」「他者の領域に踏み入る行為」

「謝罪すらしない傲慢な自己満足さ」「誰も望まない行為」「立場も大義名分も信念も存在しない薄っぺらさ」「他人に対する理解よりも自分(の信念)に対する理解を強要する押し付けがましさ」

これらにより空回りしている主人公が稲森明日人だと考えています

 

単に無印が好きだから、円堂が好きだから、天馬が好きだから

稲森が嫌いだから、気に入らないから

なんて短絡的な気持ちで言っているわけではなく

円堂は言葉と行動で気持ちの良い男であることをこれでもかと言わんばかりに示しており、

天馬もサッカーを通じて相手をおもんばかる描写があり、

両者に共通しているのは「何があってもどんな困難があっても諦めず立ち向かっていける人間」ということです

 

イナズマイレブンの持つキャラの魅力、

主人公ってなんだろう 雷門魂ってなんだろう 「熱さ」ってなんだろう

っていう一見漠然とした魅力はこういった点から説明ができるんですね

 

そういった点では私の中で現段階では少なくとも笹波雲明も

紛れもなく「イナズマイレブンの主人公」で

それに相応しい人物だと思っています

 

どうか新作イナイレで主人公を見失うことのないように・・・