前回書いた「オリオンの刻印が終わっている理由」にて

私は下記のような理由を指摘しましたが、一部のファンからは
「それって過去作のエイリア編でも同じじゃね?」というような声が上がりそうなので
それに対する反論を行っていきたいと思います。


私はオリオンの刻印を

・監督が選手を守らない
・サッカーが二度とできなくなる恐怖を選手に植え付ける
という根拠を基に主張させていただきましたが、

これはイナズマイレブン脅威の侵略者編でも当てはまることなのではないか、
であるならばこれらの理由はオリオンが終わっている理由足り得ない
(オリオンを終わっていると主張したいなら過去作が終わっていると主張すべき
にもかかわらずこのブログでは無条件に過去を肯定しているような文章が散見されている)
ということです。



まずエイリア学園の脅威についてですが


・彼らはサッカーによる試合を全国各地の中学(同好会レベルでもサッカー部が存在する)に片っ端から問答無用で挑みに行き、負けたら破壊・挑まなくても破壊・棄権すれば敗北と見做して破壊するなどほとんどテロリストに近いような行動をとっています

これは明確に「監督の力が通用しない非常識な敵組織」という私が批判した
オリオン財団における欠点とも確かに一致しています。
また、これらの理不尽極まりない行為によって

「サッカーが二度とできなくなるような恐怖を選手に能動的に植え付けている」

ともとらえることが可能です。



なるほど。たしかにこういった側面だけ見れば
過去作でもすでに同じことをやっているとも言えますね


しかしこれらは決定的に違う部分が存在するため、
オリオンは否定できてもエイリア学園は否定できないというのが私の見解です。

まずオリオンの刻印の舞台は公式な記録が残るれっきとした「世界大会」です
それに対してエイリア編の舞台は非公式なものであり

エイリアによる破壊活動は公式に勝ち負けが記録されるものではなく、

一度負けて学校を破壊されようが勝負を預かることで何度負けても挑むことができる親切(?)設計です
またエイリアの破壊活動はビジネスを進めるためにあるものではなく、

宇宙人による得体のしれない侵略行為(のちに意味は変わりますがこれも最終盤になってから)として意味があるものであり、
オリオンのそれはビジネスのためにビジネスの道具を利用して八百長をやるという極めて意味が通らない不条理なものです
そもそもエイリア学園の破壊は盤外戦術なんでもありの不正とは別であり
力を正式なサッカーというルールに則って行われるものであり
負けて学校を破壊されるのは理不尽ではあるが当然である
もしエイリア学園が試合中に相手から有利を取るために学校を破壊し出したら
それはおかしいしオリオン財団とやってることが同じです
が、そうはなっていません
勝負の土台に乗らない・乗ろうとしない、

そして強くもないというのがエイリアとオリオンの最大の違いで
エイリア学園の方は負けそうになったからといって途中で校舎を破壊し出したり、
催涙ガスを放ってきたり、仕込みスパイクで目を眩ませたり、刃物で足をケガさせてくることはありません。
あくまでもサッカーのルールに基づいて突進やシュートを行うもので、
これらの要素は主人公サイドが強くなれば

ある程度対応が可能になるという極めて紳士的なものです
しかしオリオンの使徒のそれはこちらがどれだけ強くなろうと対処不能の代物であり、
こちらが同じことをやり返すことが原則的にできないというのが
激しくストレスフルな要因となっています
星の使徒、オリオンの使徒、同じく星や惑星を関する使徒ですが
形態には天と地ほどの差があります

決してやってはならないルール違反を手段を選ばず絶対的な権力を盾に

行ってくるのがオリオンで、その内容も誰がやってきても同じようなもので

個性すらありません

例えばエイリア学園でいうとアストロブレイクはレーゼが使う代名詞技ですし

吹雪以下のシュートを軒並み受け付けない圧倒的に強いGKなのに

FWもできるデザームも他のメンツに負けないほどの個性と独自性を持っています

炎と氷のマスターランクもいわずもがなです

しかしオリオン財団の不正行為は全くと言っていいほどキャラの個性につながるものではなく、キャラ要素の中に無理やりねじ込まれたのが不正要素なので

ぶっちゃけ誰が似たようなことをやってきても差別化できていません

また星の使徒たちは試合結果をエイリア側で操作するような卑怯な真似はしない
紳士的な方々なので、試合に対して真摯に取り組みそれゆえ
負けたら一回一回マスターランク以下は学園追放という制裁が待っています

更に彼らは絶対的な勝利以外は敗北であると厳密に定義しているので

同点すら敗北と同義とし、軽い様子見でも最悪戦力外とみなされることさえあります

ただの人間どもには決して負けないという彼らの強い自信と

それだけ勝負に対して真剣に向き合っている証左といえますね
さらにいえばあちらはたった3チームくらいしかメインでかかわってこないのに対して
オリオン財団は中国とスペイン以外はすべて使徒といっても過言ではないほどの
敵人数がおり、そのスペインにすら入り込んでくるしつこさ・しぶとさです
しかも手口は毎回毎回汚い反則行為という・・・。

芸がないうえにワンパターン、そして強くもない
また、強かったんでしょうけど野坂+一星の「必殺技理論解説」による
威厳の弱体化によって結果大して強くも見えません
あんたらエイリア学園来たら秒で崩壊するだろうね(笑)

エイリア編では焦点を当てられることの少なかった「失うこと」に重きを置き、

それまで円堂たちが慣れ親しんできた勝敗よりも楽しむことが大事という

サッカーの持つスポーツの競技性から大きく外れ、
それにより単なるスポコンでは描けない

イナズマイレブンならではの深いドラマが描かれ

作品に大きな深みと広がりを与えました。

円堂はどんな時もあきらめないやつで、周りのみんなもそんな円堂についていけば
最後の最後には必ず勝つことができると信じています
しかし今回のエイリア学園という得体のしれない圧倒的な強者を前にして
いつ終わるかもわからない、戦うたびに疲弊していく中
長らく苦楽を共にしてきた雷門イレブンのメンバーたちが次々と離脱していきます
円堂の説得として一番強いのが「あれだけの困難を努力して乗り越えてきたじゃないか(確かな実績に伴う信頼性の高い発言)俺たちならどんな壁も乗り越えていける」
というものなんですが、このお得意の円堂主人公節も空しく
とある仲間は未知の強敵相手に完全に戦意喪失しており、この言葉も響くことはなく
チームを離脱し対立してしまいます

つまりこの激しい戦いや失う恐怖が、戦いの真剣さがしっかりと描かれていたから
これらの描写につながる意味のある設定や非常識さだったといえるでしょう。
円堂をただの能天気なサッカーバカにしない、深みを持たせる役目もあり
こういったシリアスな展開は物語をぎゅっと引き締めてくれます
遊戯王GXでいうと3期の十代が大人になる過程といえば理解できるでしょうか

それまでの空気感から一変する転換期です

一方でオリオン財団の攻撃によって深まるのはチーム同士の溝と

敵選手への殺意だけなので、全くと言っていいほど必要性がありません
シリアスな展開もバカ同然な監督とくだらないギャグのせいで

一気に台無しになっており、それに飽き足らず敵サイドまでも

「アス・タロトを長セリフギャグキャラ、サタンですらおふざけ同然の麿キャラに成り下がらせ、エターナルダンサーズでも監督やコーチがアホになり」

というような全編通じてどこかしらに非常識なギャグ同然の描写が挟まることで

無駄に緊張感を削いでいるんですよね鬱陶しい

でトップはトップで不都合なことが起きたらビンタして解雇する非常識ババアだし

似たようなことを上っ面でやっていても許せるか・許せないかに関しては
真剣勝負をやっていること、恐怖からくるシリアスさがあるかどうか、
負けて制裁がきっちりとあるか、自分と相手が同じ勝負の土俵に乗っているか
が影響してきますね


で、言われている「監督が選手を守らない」についても
・エイリア編でも瞳子は仲間も敵も到底守っているようにみえない
・エイリアの真実や豪炎寺の秘密を知っているのに敢えて教えていない


などまあ言われれば金雲と共通点がなくもないですが違う要素も多いです

瞳子は一時的な監督であり、目新しい要素があります
対して金雲はアレスから続く監督であり
負の感情も引き継いでおり またこいつかみたいな感覚に陥ります
そして瞳子にはあった真剣さもない
せ~ん、しぇ~んなど人を煽っていると捉えられてもおかしくない
おふざけぶりを披露したあと仮病を使ってまで中国代表の監督に寝返り
それに対しても後から「策」っていえば何をしても許されるんでしょうか
もうそれならはっきりと言えばいいじゃないですか
中国は私の育てたチームであり日本に今の私の力は必要ありませんって
あれこれあれこれ言い訳がましいことを言ってその後しれっと味方側に戻っており
その際の言い訳はしないからご都合感が否めない

瞳子はそれまでのイナズマイレブンにはいなかった表向きは冷たいけど

実際はメンバーのことをきちんと考えている敏腕監督という

新しい側面に切り込んでいます

なぜ瞳子だけそう捉えることができるのか

それは瞳子が常に真剣だったからです

一方で金雲はおふざけの方が多すぎて、また大人としてあまりにも非常識すぎて

一見飄々とふるまっているけど実はすべてを理解している強者

と思わせたい公式の意図から大きく外れているんですよ

選手生命の奪い合いになる(実際は一方的な搾取だけど)世界戦、

負けたらそこで終わりで各チームに前年度優勝校のユースひしめくアレスの全国大会

そういった真剣勝負が求められる舞台で

一人だけ「飄々としているけど実は~」とか

「普段は道化を演じているけど実は~」なんて

受け入れられるわけがないじゃないですか

真剣な監督ばかりでマンネリ化したと思うかもしれませんが

おふざけを導入されるくらいならまだ安易なマンネリに陥ったほうがマシです

作品が停滞するのと作品の雰囲気を破壊することは同じではありません

 

瞳子監督が豪炎寺の秘密を話さなかった(話せなかった)のは
それを知られれば豪炎寺の家族に手を出される恐れがあったからで
紆余曲折あって豪炎寺が戻ってきた後も瞳子監督は最後まで秘密を守りました
たとえ自分が嫌われ者になってもチームにとって必要なことをやり続けました

もう隠す必要がなくとも彼女は最後の最後までやり通しました

「金雲監督が一星の秘密を守ったのは一星を財団から守るためでもあった」
という言い訳は一切通用しないんですよ

だって全部本人がいないところで秘密を暴露するんですから
一星が話していない家庭事情や病理まで全部バラすんですから
非常識すぎて同じ土台に上げられません
れっきとした世界大会だの隠していませんだの
堂々と大嘘を散々チームにも鬼道にもこいておいて、
ほとんど指揮を現場任せにしており、かつ二人体制の監督なので
いつでも試合を抜けて鬼道のバッグから一星が仕込んだと思われる

ドーピング薬を取り除くこともできたはず

なのにそれすらせず静観
これで選手を守ったことになりますか??なると思っているんですか?

どう考えてもわかっていたうえで放置したでしょこのデブ
瞳子が豪炎寺に対して「地上最強のイレブンに豪炎寺は必要ない」といったのも
今の豪炎寺は必要ない(しかしそれをあそこでいうと含みを持たせてしまい、

何か考えがあるのではと豪炎寺の状態を察してしまうかもしれないから

敢えてそのように言わなかった)という解釈を加えることもできるし
嘘ではないですよね

というより、金雲には日ごろの言動描写から明確に俗っぽい自分本位全開の

欲望むき出しのオッサンという印象が付きまといますが

瞳子は我が身の評価など一切顧みない徹頭徹尾チームのためという潔さすらあります

表はふざけて見えるけど裏では実はというものと

表も裏も真剣なものってどっちの方がいいですか?

この作品がギャグなら別に後者でも構わないと思いますが生憎イナズマイレブンは

初代からずっと一貫してシリアスな作品なので。

 

瞳子監督は確かに

真・帝国の佐久間と源田、そして無理をするとわかっていた染岡を救えなかった

あんな事態になる前に救わなかったと言われればそうです

特に佐久間は一歩間違えれば選手生命を失うほどの紙一重のものであり

打倒エイリアを優先し、吹雪や風丸たちへのアフターケアがなく

勝つためとはいえ時には選手の神経を逆なでるような発言をしていたこともあります

しかしそれらに対して瞳子監督は響木監督に糾弾されたり

木野に言われて自責の念にかられるなど決して自己本位の横暴一辺倒ではなく

皆のことを考えていたり、チームのためを思っての作戦も立てたり

一見冷たいだけの第一印象から一転し回を進めていくごとに

優しい声色やどこか人間らしさ 真剣さ シリアスさがあります

しかし金雲監督は一切真剣に見えない おふざけの領域を出ないようなことばかりで

選手の自主性に頼り極力現場任せにしている

それでいてその怠慢は「選手の成長のため」などという

ふざけた理屈を押し付けて自己弁護を図ります

もちろんそれを改める気も反省した素振りもなく

むしろ自分は常に正解を知っている側として行動するから

常に称賛を浴びる立場で決して糾弾されることのない安全圏で

「監督」という権力を振りかざして上から物を言う

金雲はやはり大きな違いがあるといえます

試合の中で、戦うことの激しさから生じるケガ、

傷ついた選手のケアにまで至らなかった話と

試合ですらないルール無用の妨害を把握していたうえでそれをあえて語らず

傷つく選手を黙って見ていた話は

全く違います

さらに言えば選手たちではどうにもならない事情から大人が責任を果たして守る行為と

過干渉することで選手の成長を妨げることは全く一緒ではありません

そこを一緒くたにしてはき違えているから大人として金雲は「非常識」であると

言わざるを得ません


そういうのを抜きにしても
瞳子・金雲どちらも目的のために選手を使いつぶしているようにみえるし
実際円堂が使い物にならなくなりかけたら「円堂くんをメンバーから外します」
みたいなことを言う人だからというのもわからなくはないが
おふざけを一切していない瞳子にはそれを言うだけの資格があると思います

ご都合的な理由で秘密を隠し続けた金雲とは天と地ほど差があります

こういうと瞳子もエイリアの真相を知っていながら終盤に至るまで円堂たちに

一切打ち明けなかったというひともいますが、
エイリアの真相は打ち明けられたところでエイリア学園の対策になることはありません
一方オリオンの使徒による盤外戦術はそうされると分かっていれば
警戒することで被害が最小限で済む可能性があります
実際野坂などは不正を行うことがわかっているからそのうえで対策を立てられました
同じことを教えれば鬼道にも同じことができたはずです
なぜ野坂を待つにあたりわざわざピンチにしなければならなかったのか
そこに「野坂を最大限に活躍させたとみせたいから」という公式の作為的な意図

以外を感じないと言っているんです

円堂の精神的ピンチが立向居を活躍させるための作為的なものになってませんよね?
それは立向居が急に降ってわいて出てきたようなキャラでもなく

円堂に代わるほど才能があったからでもありません

あの時点の立向居はゴッドハンドくらいしかまともな戦力はなく

地上最強イレブンからみても明らかに正GKは円堂であり

円堂>立向居です

その後マジン・ザ・ハンドを習得しても究極奥義を取得している円堂がしばらくは

正GKです

そんな立向居は折れかけた円堂の心にもう一度火をつけたんです

諦めない心と姿勢

完璧熱血主人公に見えた円堂にさえ、試練を与えてそれを乗り越えさせた

野坂が登場してチームのピンチを一時的にしのいだことと比べるまでもありません

 

これらの描写はただ単にオリオンと上っ面が似ているだけ

中身がまるで伴っていないから入れ替えたら違和感しかない

もしエイリアも人を理不尽に傷つけているからオリオンと同じで
監督もまともに選手を守らず先に進んでいるだけに見えるから同じで

野坂がやってきてチームを救う展開と立向居が急に現れて円堂を救う展開が同じ

だと主張するのなら、それを入れ替えてみてはいかがでしょう

どうですか

しっくりきますか?シリアスな展開になるでしょうか

なりませんよね

その時点で別物です

 

 

まとめると同じであることを主張するには

「それら(同じだと主張する要素)を両方入れ替えてみても成立する要素」

でなければならないことの証明と

「その要素を描く意味がしっかりと存在すること」

が必要であり

 

そういった点からエイリア学園とオリオン財団は全くの別物で

監督として見ても趙金雲の方が吉良瞳子よりも不快な存在であると私は主張します

 

しかし思わぬ論理の穴が存在するのも

私のブログではよくあることなので

こういった点からこうなんじゃないか?という意見がございます方

もしくは主張に根拠と具体性があって論理的に反論ができる方などは

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