2024年3月
Vシネクスト
パラダイス・リゲインドを視聴しました
まあ結論から言うとパラダイス・ロストを超えるほどではなかったな、と
というかパラロスほどの本気度を感じないというか…
正統続編!や夢の続き、見せてやるよ
という謳い文句ほどは濃ゆくなかった それが全体的な感想ですかね
面白いか面白くないかでいえば面白い方ではあるんですが
期待を超えるほどではなかった感じです
とはいえ復活のコアメダルよりは面白かったです
が
今回に関してはあの厳しいネット民でさえ
「面白かった」とか「ラーメン頼んだらラーメン出てきた」とか「ファイズらしい」
とかなり優しめの意見だな~と思うようなぬるいレビューがちらほらで
個人的には驚きましたね
どんだけ復コアの影響でかいんだよwってなりました
まあ続編をこれ以上作らせないようにと演者を開放させる目的で主人公を雑に殺して周年記念を葬式にした制作陣の発言があり、物語を一番理解している脚本家が不参加でその内容をゆがめた復コアと比べたらそりゃあ脚本・監督が当時のままのファイズはマシでしょうけども…
中身に関してはファイズ小説「異形の花々」を草加の部分巧に変えたような内容でした
助けてくれのシーンとかスマブレがオルフェノク殲滅企業と化しているところとか
なんとなくそれを連想しました
(ちなみに小説も脚本である井上さん本人の直筆)
海道とか素直に笑えるパートもいっぱいありましたけど
なんだかな~ってポイントが多いですね
・真理のオルフェノクになればいいよ発言
なればいいは違うでしょうと思いつつもぎりぎり真理ならそういうデリカシーなさげな発言しちゃうところもあるよなあと妙に納得しちゃうような
でも本編中の若いわがまま真理がいうならともかく今作ある程度本編から時間経ってるから違和感がすごいんですよね むしろこういうヘイトを買いがちな役割は新キャラの若い娘に言わせるべきだと思いましたね
「オルフェノクになってしまったこと」を重く考える必要はないし
むしろ戦力になるからっていう前向きな考えは割り切っていて好きだし
どっちかというと成ってしまった人間に対するアフターケア的な意味でいうとか
そういうのならいいかもしれないですが
なった直後強烈な殺意に飲み込まれて実際に人を殺めてしまった側の人間が
そんな軽いノリでいうべきことかなとまず第一に首をかしげますよね
また巧がそうであったようにオルフェノクになった人間は
その急激な進化に人間の方の体はついていけず、徐々に細胞崩壊などを起こして
最終的にかなり早死にして灰化してしまうというとんでもないリスクも大なりあるわけで
戦力になる代わりに早死にしてねと言われてもはいそうですかと素直に頷けるわけがないんですよね
まだ若いし未来があるのに
しかもこれ別に本人がなりたくてなるものじゃないですからね
オンオフ不可能で寿命を縮めていく体になるなんて平和な世の中を迎えたら
デメリットしかないわけですよ
そりゃ真理はいいですよ巧と同じになれて同じ時期に死ねるかもしれないんですから
でもほかの人間は違うでしょう
ただ海道みたいなオリジナルでもないのに異常な生命力と本能を抑えることができる
人間もいるのでオルフェノクになった人間みんながみんな不幸になるというわけでもないのでしょう
ただオチでの発言だったとはいえその辺がどうもしっくりこない
やはりどうしても555といえばパラロスの前例があるので
そこと比較してしまうとシリアス度や色々違和感を感じざるを得ないというのが正直なところですね
あそこはオルフェノクであることを明かした巧と
人間である真理が種族の壁を越え、手を取り合って光という未来に向かっていく
という完璧なエンディングかつシリアスな物語だったので
それと比較するとすべてかすんでしまうんですよね
・アンドロイド問題
北崎君や草加君が出ますが全員本人ではなくアンドロイド
しかも量産も可能で新たなライダーズギアには最新鋭AIまで搭載されているという
ハイテクぶり
ただゼロワンという作品がある以上どうしてもそこが気になってしまう
劣化ヒューマギアになってしまいがちで
確かに555は当時最新鋭の携帯電話や機械を使うという現実世界との
リンクがありそのうえで未来を描くみたいなコンセプトがあったので
今でいう未来=AIとなるのもわからなくないしそこは正統派進化なのかもしれない
ですが…
ただそこはさすがにオリジナルの意地を見せます
今作が「ラーメン頼んだらラーメン出てきた」とされる部分、
オリジナルファイズが進化型を打ち破るという展開
シンフォギアのコラボの時もそうでしたが
井上さんの中には 旧式伝説>最新鋭 というのがありそうですね
扱うスペックではなく本人の力が大事なんだよ!っていうのは
良い理念ですよね
ただ帝王のベルトの時は納得できたのに今作だとあまり納得できないんですよね
最新型、出す必要あった?!てなる
販促のために絶対出す必要はある
映画と比較するからいけないんでしょうかね~このもやもや感
確かに本編最終回から繋げばそれなりに違和感はないかもしれません
あともっとエぐいの書けるだろって思ってしまう
差別と偏見、種族間の対立と大きな壁
30分のテレビと異なり今回は大人(しか基本見れない)かつ映画なので
ファイズではできなかった映像制約が無きに等しいものなので
もっとえげつないそれこそ小説版草加の末路くらいやばいのを出しても
ゼンゼン許されたと思うんですよね
要するに時間の使い方がもったいない
エンタメほど振り切ってメチャクチャ面白いわけでもないし
ダークサイド井上全開ってほどエグくもないしで
すごく中途半端なんですよね
・玲菜の扱い
正直持て余していた感が否めないですよね
特に心変わりの下りもうちょい尺とって掘り下げれば退場が劇的なものになったのに
パラロスの木場さんはかなり丁寧にオルフェノクと人間のしがらみや
立場に関する葛藤描写などが描かれていてたので対決も納得できました
というか改めて考えるとパラロスの完成度やばすぎる
オルフェノクと人間の救世主555との対立だと思っていたら
実は555はオルフェノクで、木場と同じオルフェノクでありながら人間と共存を
望んでおり、そのために戦っていたこと
強力なベルトは普通の人間では変身できないこと・設定の一貫、
映画として盛り上がる最高のところにそんなサプライズを持ってきて
エンドはキレイに締める
生と死、共存と否定、熾烈な生存競争
人間の悪感情、虚栄心、人の心を失った人間と怪人両方にスポットが当てられている
根本的に相容れない他者という存在を描写しながらも
野村博士や啓太郎のような創作として必要な「笑い」も完備
マジで本当にこれ子供向けに放映されるものじゃない
前作の龍騎もそうだったけどパラロスはマジですべてを超えた
二度と平成・令和以降の時代であんなにシリアスな作品は出てこないだろうな
路線として明確に風向きが変わったのは
電王以降かな~
カブトからそんな気もするけど
カブトは特にワームを使ってファイズと同じくらいシリアスな要素を背負って
いたけどキレイに締めてギリギリ明るい作品になりましたよね
天道や地獄兄弟やサソードたちが基本ギャグ寄りなのでああなれたのかもしれません
となるとやはり電王からかな
あとは鎧武くらいかな
珍しくシリアスな作品出てきたってなったの
そもそもあれも独自性の高いレア脚本家+鬱ゲー専門家だから
あんなに異色シリアスで面白くなったのであって
やはり尖った脚本家や子供向けって制約を取っ払ってくれる作家でないと
パラロスレベルのものを作るって難しいんじゃないかな~
テレビ放送って事実を失念させていいなら
アマゾンズくらいのものが欲しいところ
シーズン1・2・映画全部面白かった奇跡の作品だなあれは
どうなんだろ もうシリアスな作風って受けないのかな
平成初期のあの雰囲気が好きなんだけど
今色々厳しいのかな
井上さんにはどんぶらくらい振り切った作品か
パラロスくらいシリアスな作品を作ってほしいな~
無理かな~