著者:瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)

    小説家、僧侶(天台宗権大僧正)、1973年に得度

    2021年11月9日逝去

 

 1.生きることは愛すること 愛することは許すこと

  今でも胸が痛む一言

  ・この本では、97歳といういつ死んでもおかしくない私(寂聴)が、その長い営みの中で発見した

   「心の薬」のようなものについてお話ししていきます。

  ・人間が生きるとは、どういうことか。それは「愛する」こと。誰かを愛する。その為に人間は生

   きているのです。心残りは全くありません。でも、後悔がひとつだけあります。

   結婚していた25歳の時に、まだ「お母さん、行かないで」といえない3歳の娘を残して、家を飛

   びだしたことです。私は自分の欲望のためにすててきました。それが唯一の後悔です。

  愛することは許すこと

  ・この年になってようやくわかりましたが、愛することは許すことです。ほんとに愛したら、何で

   も許せます。

  この世で出逢えたことの有難さ

  ・相手は自分ではない「他人」。だから恋人でも夫婦でも、あるいは親子でも自分の思うままには

   ならない。愛というのは、どの程度で自分が諦めて、相手を許すかということなのでしょう。

   十愛して、三返ってきたら大儲けです。それくらいが愛の相場だと覚悟した方が間違いないと思

   います。ただほんとは、何も返ってこないのが愛なんです。

  ・非常に愛していたご主人と最近死に別れたという人が、寂庵にはたくさんいらっしゃいます。

   ただ、愛する人を失った悲しみも、恋愛と同じようにそう長くはつづかない。有り難いことに、

   人間には忘却という能力、忘れる力があります。

  いくつになっても恋の雷が落ちる

  ・教科書にも作品が載っている詩人の北原白秋は、隣家の婦人を好きになって結ばれたのがその夫

   に見つかり、訴えられて、相手の女と共に牢に入れられてしまいました。

  「一人」を愛するのが一番幸せ

  ・一言付け加えておくと、男は代えれば代えるほど悪くなる。これも経験者は語るだからよく覚え

   ておいて下さい。どんなに変えてもせいぜい似たような相手ばかり。好みは変わりませんからね

   愛する人が一人で終わったら、それが一番幸せなのは言うまでもないでしょう。

  ・上皇后美智子さまが皇后陛下時代、私の小説を読んで下さっていて時折、文通をしたことがあり

   ます。皇室に嫁がなかった方が幸せだったんじゃないかなどと、私たちは考えがちです。「寂

   聴さんも、そう思っているでしょう?」、ふいに美智子さまがおっしゃったんです。「私はちい

   さい頃からずっと優等生でした」と学生時代から勉強一途で、ボーイフレンドなど一人もいたこ

   ともなかった。「全く恋愛の経験がなかった」とおっしゃるんです。

   「初めてだったから、ほんとに嬉しかったのよ」だから「結婚してくれ」といわれた時に、いっ

   ぺんに燃え上がって、喜んでお嫁に行こうと思われたそうです。「だから、どんな苦労があって

   も辛抱できたのです」そんなふうにおっしゃいました。

  ・美智子さまは生まれて初めて男性を好きになられたから、自分がどうしても結婚したいと思った

   から皇室に嫁がれたのです。やはり誰にとっても、ただ一人を愛することこそ、人生の一番の幸

   せということなのでしょう。

  見返りを欲しがる「溺愛」

  ・仏教では「溺愛」と「慈悲」の二つの愛情を定めています。溺愛は、喉が渇いた時に「もっとお

   水をちょうだい」とねだるのと同じように、「もっと愛してちょうだい、もっと、もっと」と、

   相手の愛が欲しくてしょうがない愛情です。

  ・親は「これだけ苦労して大学まで入れたんだから老後の面倒を見てちょうだい」と子どもに要求

   したり期待したりする。子供は勝手に結婚して家を出て、親の所に全然寄り付かない。すると悔

   しくなって、「あの嫁が悪い」「あの婿が駄目」と悪態をつく。まさに溺愛です。

  ・お釈迦さまは、溺愛を強くいましめています。見返りを求める愛情の苦しみや迷いが最も大きい

   と仏教では説いているのです。

  「慈悲」はあけっぱなしの愛

  ・溺愛に対して、仏教が設定しているもうひとつの愛が「慈悲」です。慈悲は無償の愛、報酬を求

   めない愛です。慈悲の愛を身に付けなさいとお釈迦さまは教えているのです。

 

 

 2.「ひとり」は淋しいか

  何度繰り返しても「別れ」は辛く苦しい

  ・この世で一番辛いのは、愛する人と死に別れすることです。人間は、いつか死ぬものだから仕方

   がないとはいえ、やはり心は乱れるものです。この間まで一緒にいた人がもうこの世にいないの

   だから、何をするにも孤独を感じてしまう。それはこの上なく辛いことです。愛する人を亡くし

   た悲しみを癒すのは、時間しかない。だんだんと孤独になれていくしかないのです。

  孤独は人間の皮膚、苦しみは人間の肉

  ・お釈迦さまは「この世は、はじめから苦しみの世の中だ」と教えています。「四苦八苦」ですね

   四苦とは、生、老、病、死の四つ。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦

   しみです。

  ・さらに四つの苦しみ、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふ

   とくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)があります。愛する者と別れる苦しみ、怨み憎む者とも

   会わなければならない苦しみ、欲しいものが求めても手に入らない苦しみ。そして五蘊盛苦は、

   人間の存在を構成する五つの要素(体、感覚、知覚、意覚、認識)に執着することによって受け

   る苦しみ。これは、前にあげた七つの苦しみを集約するものといえます。

  老いのもたらす孤独

  ・いざとなったら施設や病院のお世話になるしかありません。だから、みんな老いを恐れる。要す

   るに、老いのもたらす孤独が怖いのです。

  お釈迦さまも八十歳で「ポンコツ」に

  ・お釈迦さまはおよそ二千五百年前、八十歳まで生きたとされています。二十九歳の時に出家して

   三十五歳で悟りを開かれて以来、八十歳までの四十五年間、休む間もなく各地を遊行されました

  ・インドには「カースト」という厳しい身分制度があり、王族出身で出家したお釈迦さまは、ほん

   とうなら身分の低い鍛冶屋と一緒に食事をしてはいけないとされていました。でも、お釈迦さま

   は身分なんか全く気にしない。どんな身分の人とも分け隔てなく接する。この「平等」も、私が

   好きな仏教の思想的特徴なんですね。ただ、そのチュンダが出した食事の中に、運悪く毒きのこ

   だか腐った豚肉だかが入っていて、食あたりになってお釈迦さまは衰弱して死を迎えるのです。

  小さな夢が老いの孤独を慰める

  ・私は八十八歳の時に背骨の圧迫骨折を患うまで、自分を老いたとも、老人だとも思っていません

   でした。九十歳を過ぎてからは、特に「ああ、年をとったな」と思います。腰椎の圧迫骨折、胆

   のうガン、心臓や足の血管狭窄と立てつづけに入退院を繰り返して、さすがに老衰がすすみまし 

   た。「昨日できたことが今日できない」ということがある。

  ・お酒も手のこんだお料理も昔ほど美味しいと思わなくなった。会って話したいと思うお友達も皆

   死んでしまったから、もう東京など行く気がしない。だんだん楽しみがなくなって、生きている

   のがつまらなくなっていく・・・。これが老いるということなのでしょう。

 

 

 3.「変わる」から生きられる

  すべてのものは移り変わる

  ・「すべてのものは移り変わる」というのが仏教の思想です。特に道徳が移り変わるのです。その

   時の権力者が都合のいいようにつくったのが道徳でしょう。だから変わるのです。

  ・要するに、人間の決めたことなんて力がないのです。それだったら、何を頼りにしていたらいい 

   のか。人の世を探しても見つからない。だからこそ私たちは、人間がつくったものじゃない決ま

   りを欲しがるのでしょう。それが結局、宗教なのだと思います。宗教のおかげでどん底に落ちた

   時に助かる人もいる。だから私はあった方がいいなと思います。

  明日のことはわからない

  ・「すべてのものは移り変わる」がお釈迦さまの教えの根本です。あなたにも悩みがあるでしょう

   でも、その悩みはいつまでもつづくことはない。変わるのを待つか、あえて早く変わらせようと

   するか。それは私たちそれぞれの生き方によりますが、必ず変わります。

   だから「もうこれで私の人生は終わり」などと考えないことです。必ず変わります。決してこの

   調子の悪い状態が最後だなんて思わないで下さい。

  ・もし悩みが何もなくて、今は「幸せ」と思っていても、それも変わります。悪い事があっても必

   ず変わる、いいこともやはり変わる。だから、いいことがあった時に安心しないで下さい。

  ・人間はいいことがあったら悪いこともあります。いいことがあっても悪い事があっても、出来る

   だけ心を動かされないようにしましょう。

  今がどんなにつらくても必ず変わる

  ・たとえ病気が治らなくても、死んだら楽になるでしょう。それも変わることなのね。今の状態の

   まま、苦しみがつづくことはない。変わると信じて、辛く苦しいこともそのうちに変わるんだと

   思って、楽しい方向を考えましょう。

  ・なぜあなたがあなたの両親のもとに生まれてきたのか。あるいはこうして生きているのか。自分

   が幸せになるためだけじゃないのです。誰かのために、誰かを幸せにするためにこの世に送られ

   ているんですよ。たった一人でもいいから、自分以外の誰かを幸せにしようという気持ちを忘れ

   ないで下さい。

  忘れる力

  ・愛するお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなる。それは順序だから仕方が

   ない。その一方で「逆縁」というのがあります。自分よりも若い人、順序からいって自分よりも

   先に死ぬべきでない人に先立たれると、これがとても辛い。

  ・でも、人間はほんとに不思議な能力を与えられているのです。それは「忘却」という忘れる力。

   後を追いたいくらいの悲しさも、じっと我慢して歳月が過ぎるのを待ったなら、必ず癒される。

   京都には「日にち薬」というとてもよい言葉があります。いつの間にか「時」が薬になって、心

   の痛みを少しずつ和らげてくれるのです。

  ・忘却とは、仏様や神様が人間に下さった恩寵(おんちょう)だと思います。裏返しにいうと、忘

   れやすい私たちが故人のことを思い出すために、一周忌とか三回忌がある。亡くなった人を忘れ

   ないこと。これはまた一番の供養でもあるのです。

  死なないと思ったら死なない

  ・人の命というのは、自分ではどうしようもないものです。仏教では「定命」、定まる命と言いま

   す。いつ生まれていつ死ぬか、その間にどんな病気をするのかということが、もう決まっている

   それが定命というものです。

  ・ただ、いつ死ぬか決まっているけれど、それがいつかは私たちにはわかりません。だから、わか

   らないことにとらわれないことも大切なのです。わからないということは仏様の恩寵なのか、そ

   れとも劫罰(ごうばつ)なのか、どちらにもとれるような気がします。

  好きなことをしていたら健康になる

  ・命は与えられたものなので、思い通りになりません。だからこそ生きている間、大切にしなけれ

   ばいけないと思います。私の健康法はとてもシンプルです。第一に好きなことをすること、次に

   よく眠ること。そして肉を食べること。肉を食べないと頭が悪くなります。

 

 

 4.今この時を切に生きる

  切に生きる

  ・私は若い頃からいつ死んでもいいと思って生きてきました。そのために、今日したいことは今日

   全部してきました。よく長生きの秘訣を聞かれますが、それこそが秘訣なのかもしれません。

  ・心配や取り越し苦労をするよりも、今ここにいる、この瞬間を精一杯、生ききることが大切なん

   ですね。洗濯でも料理でも読書でもそうです。この本を読んでいる時はただ懸命に読む。人生の

   充実は、これに尽きると思います。

   この世でやりたいことを全部やる

  ・きらないで失敗して後悔するのと、やってもっと大きな失敗をするのと、どちらがよいかという

   と、やって失敗した方が「生きがい」があると私は思います。生きている以上は、何か自分が

   したいと思うことはやった方がいい。それをやって何か道を外すかもしれません。でも、道を外

   した後悔の方が、やらないでする後悔よりも意義があると思います。

  ・いくつから始めてもいい。「この年でいまさら」なんて言わないで下さい。七十歳からそれを始

   めて七十五歳でそれが花開くかもわからない。もちろん、八十歳でも九十歳でも同じ。死ぬまで

   花開かなくても、この世で好きな事を何年かしたというだけで、生きてきた甲斐があります。

   忘己利他(もうこりた)

  ・生きるというのは、ほんとは人を幸せにすることなんですね。天台宗の宗祖、伝教大師最澄の思

   想でいうと「忘己利他」、「己を忘れ他を利するは慈悲の極みなり」。それが生きるということ

   だと最澄は「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の中で説きました。

  ・今こうして本を読んでいるみなさんも、読書したくても出来ない人がたくさんいることに思いを

   致して下さい。そんな想像力、やさしさが、忘己利他の第一歩になると思います。

  ・天台宗の教えの中で、私の一番好きな教えです。法話の会では「今日はこれだけ覚えたらいい

   の」とよくいっています。忘己利他、自分のためじゃなくて自分以外の人の幸せのために生き

   る。とてもいい教えだと思います。

   「大いなるもの」に生かされている

  ・結婚して子供がいて、それでも「私は何のために生きているんだろう」なんて悩む。贅沢じゃな

   いですか。罰があたります。ご家族だけでもちゃんと幸せにしている。それで十分だと思います

   ご主人もあなたあいるおかげで安心して働ける。私たちはみんな必要があって生かされています

   最高の財産はお友だち

  ・九十七歳になって、何が生きてきた財産かなと考えると、やはり友達です。肉親じゃない、最後

   は友達だと思う。だから皆さんも、ぜひお友だちを大切にして下さい。

  ・この頃よく死んだ後で偲ぶ会なんてやるじゃないですか。あれもしなくていいと思います。今さ

   ら本人がいるような顔をして、ちょっと淋しそうな顔をする。そんな心にもないことはする必要

   がない。とにかく生きている間、みなさんもお友だちを大切にして下さい。

 

 

 5.死ぬ喜び

  魂となって愛する人を守る

  ・生き残っている私たちが亡くなった人を忘れないことが大切だと思います。亡くなった人がこの

   世に生きていたことをたまに思い出して、そっと手を合わせるだけでも、その気持ちは魂に確か

   に伝わります。

  ・最近では、「墓じまい」の相談が増えています。「自分たちが死ぬ前に、先祖代々の墓をちゃん

   と始末しておきたい」と言うのです。私は「放っておきなさい」と即座に答えます。「自分が死

   んだ後のことなんて、どうだっていいじゃないの」と。死んで魂になるということは、すべてを

   許す存在になる。この世に残った人たちが何をしようがしまいが許して、ただ見守る。ご先祖さ

   まもそんなふうになっていると思います。だから、世間体を気にして、墓じまいなんてわざわざ

   する必要はありません。死者を覚えていること、忘れないことが何よりの供養です。

  この一刻一刻を生きる

  ・いい人が悪い目に遭い、嫌な人がいい目に遭う。そういう矛盾や理不尽なことがこの世の中には

   いっぱいあります。それが人生なのです。仏様や神様は、私たちが耐えられない苦しみをお与え

   にならない。何とかそこを切り抜けていく力があるからこそ、様々な試練を与えられるのだと思

   います。この世は「苦」だとお釈さまはおっしゃいました。ですから、どんな辛い時、苦しい時

   でも決して絶望しないで下さい。

  ・私たちはいつかどうせ死ぬために生きてきたのです。死を思いわずらうことはやめて、その与え

   られた生涯の一刻一刻を大切にして、実りある生き方をするようにしましょう。

  瀬戸内寂聴の最期

  ・「生きすぎました・・・」これが九十七歳の私の偽らざる感慨なのです。もう十分生きた、いつ

   死んでもいい。ここ数年の口癖です。理想はあるのです。夜中、いつものように書斎の机で小説

   か随筆を書いていて、そのまま原稿用紙の上に突っ伏して、ペンを握ったまま死んでいたい。

   毎朝目が覚めると、「あっ、生きてた」などと思います。

  ・私はこの命の限り、愛し、書き、祈ったのだから、喜んで死んでいきましょう。

 

 

 ●● ピークパフォーマンス方程式 ●●

  ・この年になってようやくわかりましたが、愛することは許すことです。ほんとに愛したら、何で

   も許せます。十愛して、三返ってきたら大儲けです。それくらいが愛の相場だと覚悟した方が間

   違いないと思います。ただほんとは、何も返ってこないのが愛なんです。

  ・溺愛に対して、仏教が設定しているもうひとつの愛が「慈悲」です。慈悲は無償の愛、報酬を求

   めない愛です。慈悲の愛を身に付けなさいとお釈迦さまは教えているのです。

  ・「すべてのものは移り変わる」がお釈迦さまの教えの根本です。あなたにも悩みがあるでしょう

   でも、その悩みはいつまでもつづくことはない。必ず変わります。

  ・なぜあなたがあなたの両親のもとに生まれてきたのか。自分が幸せになるためだけじゃないので

         す。たった一人でもいいから、自分以外の誰かを幸せにしようという気持ちを忘れないで下さい

  ・自分がしたいと思うことはやった方がいい。それをやって何か道を外すかもしれません。でも、

         道を外した後悔の方が、やらないでする後悔よりも意義があると思います。