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『大字誌 浪江町○○』調査日誌

旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年9月13日。

 

西村慎太郎です。

9月8日に浪江町大字谷津田菊池家文書の保存・調査活動でした。現在、大字谷津田=谷津田村について勉強中。

今日も『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)より見てみたいと思います。

 

というわけで、前回は谷津田村の旧跡のひとつで「古第」を確認しました。在郷給人である谷田氏の居館跡ですが、その谷田氏についての記述が『奥相志』に掲載されているので、それを見てみたいと思います。常用漢字に改め、適宜読点を付します。

 

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谷田権之丞後号日清、住当邑、谷田蔵人之後也、通水利、能測量、寛文中采地廿石余、某年〈寛文末、延宝之初乎〉、開青根場溝渠、以一鎌、測山谷高低、云水道数里、而至谷田・酒井・高瀬・伊手・渋川〈以下南標葉〉・鴻草・中田・両竹八ヶ村、天和中穿室原邑岩山之下、造穴径、漑于立野邑、安政四丁巳年右邑民相謀而建石碑于室原川道之滸、銘至誠霊神、

 

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浪江の人びとには著名かもしれませんが、用水路である青根場江を開削した谷田日清についての記述です。前回のブログで掲載した谷田蔵人の孫がこの谷田権之丞日清です。水利に関して詳しく、測量技術にも堪能でした。寛文・延宝年間(1661~1681)に青根場江を開きますが、ひとつの鎌でもって山谷の高低を測って開削したそうです。

 
青根場江は谷津田から酒井・高瀬・伊手・渋川・鴻草・中田・両竹の8ヶ村にわたり、天和年間(1681~1684)には室原村の岩山を掘って立野村へと用水路を通しました。安政4年(1857)に室原川のほとりに谷田日清を讃えた石碑を建てました。その石碑には「至誠霊神」との銘が刻まれています。
 
この石碑って、ネットで見たことがあるので、今でもあると思うのですが、まだ見たことがありません。なお、安政期ってことなので、報徳仕法に関わる動向かと思われます。この建碑に関わる一次資料があると、報徳仕法との関わりや当時の人びとの意識がうかがえて面白いですね🤩