調査日誌276日目(通算1160日目) -北幾世橋村・馬場楽山墓碑について④- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年8月4日。

 

西村慎太郎です。

9月7日に開催される「第10回浪江を語ろう!」では大字幾世橋についてお話ししますので、現在、大字幾世橋について勉強中。

 

馬場楽山の墓碑銘を検証しています。馬場楽山は北幾世橋村の名家であり、富商として知られていた馬場家の幕末の当主で、学問に秀でた人物です。墓碑の撰文は錦織晩香。

今日も引き続き見ていきたいと思います。読点を適宜付けていきます。

 

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而四方遊歴之士聞其名踵門者、翁乃欵接懇留、或品評詩文、討論経史間、使子弟聴其講義、年既強、始歴遊上国、遍訪諸名家、旁探勝概、所得亦不少、平居専務救済、所賑恤極多矣、而於鰥寡孤独最加厚焉、然未嘗有徳色也、嘗閭中罹火災者二十五戸、翁出金百円賑貸之、終不徴償、其意固在与之、其曰貸之者蓋為善無近名也、

 

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現代語訳したいと思います。

 

四方を遊歴する人たちが楽山翁の名前を聞いて訪問(「踵門」)すれば、楽山翁は親しく接見して(「欵接」)懇切に家に留めました。あるいは詩文の品評をしたり、あるいは儒学書と歴史書を討論するあいだ、子弟にその講義を聞かせました。

 

年齢が既に40歳(「強」)に達した時、はじめて江戸(「上国」)のあちこちを廻り、諸名家を訪問し、すばらしい景色のところなどを見て、得るものはとても多かったようです。なお、「上国」って都のことを指しますが、ここでは江戸のことと判断しました。

 

普段は人びとを救済することに専念していて、援助することがきわめて多かったです。特にひとり身(「鰥寡孤独」)の人に手厚く施しをしていました。そして、これまでに一度たりともその行いを鼻にかける(「徳色」)ことはしませんでした。

 

かつて村の中(「閭中」)で25戸が火災にあってしまった時、楽山翁は100円をこの人びとに貸しましたが、ついに返却を求めることはしませんでした。その意味はこの人びととともにある、ということでした。そのことについて「貸す者はまさしく善をなすが、近いところでそのようなことをする者の名は知らない」と言われています。

 

「其意固在与之、其曰貸之者蓋為善無近名也」のところ、ちょっと分かりにくいかも。