2024年7月9日。
西村慎太郎です。9月7日に開催される「第10回浪江を語ろう!」では大字幾世橋についてお話ししますので、現在、大字幾世橋について勉強中。
前回・前々回は『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。福島県編輯科旧蔵)を用いて北幾世橋の風景を詠んだ幾世橋八景を見ており、そのうちの一首「浄所暮雪」は北原御殿に鎮座した「御浄所」こと養真殿であると述べました。本日からはこの養真殿について検証してみたいと思います。
この養真殿はのちに北幾世橋の初発神社となります。
と、ここまで書いてて、理由は判然としないんですが、東京大学史料編纂所のホームページから『奥相志』の画像を見ることができず(+_+) 昨日は普通に見ることで来たんですが。。。
仕方ないので、今日は享保3年(1718)9月に掲げられた「養真殿」の勅額について見てみたいと思います。
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(表)
養真殿 長四尺余
横三尺計
(裏)
享保三戊戌年九月
神祇官領光禄大夫卜部兼敬
勅額師佐竹重成
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まず最初に気になったのが、「勅額」として記されている点。勅額とは、天皇の親筆による額のことですが、ちょっとこれは詳細不明。『奥相志』によれば、勅額がじゃないのに勅を奉じて勅額を称するとはこれ如何に😅
おそらく裏面に記されている神祇官領光禄大夫卜部兼敬の揮毫と思われます。「神祇官領」とは、公家の吉田家が代々名乗った神祇管領長上(じんぎかんれいちょうじょう)という称号。私称ですが、近世になると神職を管掌する家業として著名になっていきます。詳細は井上智勝さんの『近世の神社と朝廷権威』(吉川弘文館、2007年)参照。
「光禄大夫」とは、従二位の位階の唐名。そして、卜部兼敬とは、公家の吉田兼敬のこと。卜部とは占い(卜占)を専門とした卜部(うらべ)氏という氏族のこと。昔、浦辺粂子っていましたね。
最後に記された「勅額師佐竹重成」ですが、勅額師は京都で額を作る御用職人と思われます。
なお、下の写真は2018年3月18日、はじめて浪江町を歩いて調査した時の写真。それまでは車での移動が多かったのですが、2017年10月に富岡駅まで常磐線が延伸してくれて、ここから代行バスで浪江駅に出られたので、浪江駅から幾世橋を経て、請戸・両竹まで歩いて行くことができました🤩