調査日誌220日目 -昭和3年の浪江町域の学校① 請戸尋常高等小学校- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年6月9日。

 

西村慎太郎です。

ここのところ浪江町域の近代木材・薪炭生産について見ていきました。本日からは昭和3年(1928)の浪江町域の学校について検証してみたいと思います。検証する資料は福島県教育新聞社編『福島県教育名鑑』(福島県教育新聞社、1928年)という書籍です。編纂物ということで二次資料ですが、貴重な資料と思われます🤩

 

本日は請戸尋常高等小学校です。

 

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請戸尋常高等小学校

 

請戸村大字請戸字谷地畑に在り浪江驛より約一里乗合自動車の便あり。職員九人、八学級、校地は海岸を離るゝ僅かに一町餘洋々たる大海原雅致に富む白砂青松をあたかも我が庭と見るが如き景勝の地を占む。海岸に通ずる「體育増進道路」及び鈴木市三郎氏寄附の奉安庫有り。校地擴張計畫あり

 

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当時の請戸尋常高等小学校は大字請戸字谷地畑にありました。請戸尋常高等小学校の歴史については拙稿「近代の請戸」(『大字誌ふるさと請戸』蕃山房、2018年)でも述べましたが、明治6年6月に請戸村本町濱谷善一宅に広業小学校が建設、翌7年9月に請戸小学校と改称されました。さらに翌8年6月には字大師堂に移転、同22年3月の火災によって焼失し、佐藤綱弘・鈴木定七宅に仮校舎が造られ、5月に谷地畑に移りました。そして、平成10年(1997)に字持平(もつたいら)へ移って、現在に至っています。

 

さて、昭和3年の『福島県教育名鑑』によれば、海岸に近い請戸尋常高等小学校は海岸へ通じる「體育増進道路」なるものがありました。この道路を使って浜の方で体育などをやったのでしょうか。

あと、興味深いのは鈴木市三郎の寄付による奉安庫があったとのこと。奉安庫とは、天皇・皇后の写真などを納めた建物。それを寄付したのは、これも拙稿で述べましたが、「東北屈指の漁業家」と評された鈴木市三郎です。現在の鈴木酒造店の先祖に当たります。