調査日誌182日目 -相馬藩領の山中郷について- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年5月1日。

 

前回・前々回のブログでは赤宇木村の小字について記しました。典拠としたのは、近世後期に作成されたと目される「村々調」(『東北アジア研究センター報告 23 旧陸奥中村藩山中郷基本資料』東北大学東北アジア研究センター、2016年)でして、これ以外に管見の限りでは史料が確認できません。

 

たぶん、津島の今野家文書の中には関係する史料が遺されていると思われるのは、これについては引き続き探してみたいと思います。

 

なお、赤宇木地区について、近代から現在に至るまでの歴史については、先日刊行された赤宇木記録誌編集委員会編『浪江町赤宇木の記録 百年後の子孫たちへ』(赤宇木記録誌編集委員会、2024年)に詳細が記されています。区有文書とか遺されているのか、興味深いところです。

 

さて、「村々調」には山中郷のほかの地域も掲載されていて、現在、内容の精査をしています🤩 山中郷、かなり面白い地域ですが、もう少し確認したいことがあるので、明日以降、検証したいと思います。

 

また、山中郷の津島村にいた今野美壽が『相馬藩政史』(相馬郷友会、1940年・1941年)を編さんしています。