調査日誌142日目 -標葉長治による「記」について①- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年3月22日。

 

昭和8年(1933)の標葉氏顕彰運動に関わる古文書を見ています。前々回は鈴木松五郎宛標葉長治書状について翻刻しました。標葉長治は若松第一尋常高等小学校の校長です。

 

今回からは標葉長治書状に付けられていた「記」を翻刻してみたいと思います。適宜読点を付けたいと思います。

 

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   記     標葉長治識

一、標葉姓ヲ名乗ル者、相馬郡福浦村大字行津ニ二戸アリ、一ハ現在ノ小生ニシテ、他ハ目下北海道ニ転住セシ標葉頴雄ニシテ、両家ハ昔家別レノ間柄ニ在リ、標葉長治ノ祖時代ニ分家ヲ双葉郡葛尾村ニ出シ、現ニ標葉姓ヲ名乗リ居リ、他ハ標葉頴雄ノ父標葉梅之助ノ兄勝治ト称スルモノ双葉郡苅野村酒田ニ分家セリ、依テ現在双葉姓ヲ名乗ル者ハ右四戸ニシテ、相馬郡ニ弐戸、双葉郡ニ弐戸アリ、

一、祖先ハ標葉氏ナルコト、

祖先ハ旧標葉郷ヲ領セシ標葉氏ナルコト代々言ヒ傳ヘテ、今日ニ及ベリ、又古老モ之ヲ話シ居リタリ、

然レトモ

1.家系図・記録等参考ニ資スベキモノナシ

2.標葉両家(行津ニ於ケル)、家分レノ墓標アレトモ、今ハ磨滅シ、読ムニ由ナシ、ケダシ余程ノ年代ヲ経シモノト推察セラル、

3.過去帳等之ハ元行津ニ寺アリシモ、維新後小高町金勝寺ニ併合セラレ、調査ニ由ナシ、

 

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標葉長治による「記」は孔版(ガリ版)で書かれていることから、複数作られて頒布したことが考えられます。最初のひとつ書きには当時(昭和9年頃か)標葉長治が確認できた標葉氏4軒が記されています。①は相馬郡福浦村大字行津(南相馬市小高区行津)出身の標葉長治の家です。②は同じく相馬郡福浦村大字行津出身の標葉頴雄で当時は北海道に住んでいる家です。③は①の分家で双葉郡葛尾村に住んでいる家です。④は②標葉頴雄の父である梅之助の兄・勝治で双葉郡苅野村酒田(現在の浪江町酒田)に住んでいる家です。

 

次のひとつ書きは標葉氏は標葉郷を領したと言い伝えられているものの、家系図・記録・過去帳の類が遺されていないと記しています。但し、古い墓標があるとのこと。ちなみに『奥相志』によれば行津には標葉清隆の弟である小太郎隆範の館があったと伝えています。