調査日誌105日目 -昭和8年に標葉清隆の位牌を新調したひとり・苅宿俊風- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

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2024年2月14日。

 

西村慎太郎です。

標葉氏の顕彰運動について、諸史料(補足。「史料」は文字資料のことを指します。具体的には古文書などの紙媒体の文字資料です)から検討しています。

 

前回は昭和8年(1933)頃に標葉清隆らの位牌を新調した際に関与した標葉氏一族や旧臣たちの名前を浪江町川添鈴木家文書の中の「位拝新調予算書」を確認しました。20名の人物の中で、最も著名かなって思うのは「旧重臣」として挙げられた苅宿俊風。福島県の自由民権運動を牽引し、県会議員となった苅宿仲衛の孫で、標葉神社の神主です。

 

苅宿俊風については彼が著した『自由民権家乃記録 祖父苅宿仲衛と同志にさゝぐ』(大盛堂印刷出版部、1976年)に詳しいです。大正13年(1924)に東京帝大法学部を卒業後、東京都(東京府の誤りか)書記官を務め、苅野村村長や福島県教育委員会の委員長(教育長の誤りか)を歴任しています。苅宿仲衛を始めたとした所蔵史料を翻刻しているのが『自由民権家乃記録 祖父苅宿仲衛と同志にさゝぐ』です。

 

中略などが散見されるものの、『自由民権家乃記録 祖父苅宿仲衛と同志にさゝぐ』は福島県内の自由民権運動を検討する上では欠くことのできない史料集といえるでしょう。

 

標葉氏の顕彰運動が繰り広げられた昭和8年頃は30歳になったばかり。まだ東京にいた頃と思われます。なお、村会議員は務めていない模様です。