調査日誌72日目 -神鳴山に関する記述の類似性と郷土史家・門馬豊八- | 『大字誌 浪江町○○』調査日誌

『大字誌 浪江町○○』調査日誌

旧「『大字誌浪江町権現堂』編さん室、調査日誌」のブログ。2021年3月12日より『大字誌 浪江町権現堂』(仮)を刊行すべく活動をはじめました。2023年11月1日より町域全体の調査・研究のため新装オープン。

2024年1月11日。

 

西村慎太郎です。

前回は『奥相志』(東京大学史料編纂所蔵写本4141.26-20。原本は相馬市指定文化財)から小丸村の「神鳴」について見てみました。景勝地としてすでに『奥相志』編纂段階には有名だったことがうかがえました。しかも、詩や歌を作ったり、飲めや歌えの宴会が行われたようです🍺

 

すでにブログでも紹介したように氏家寅治編『平・盛岡間鉄道沿線案内』(藤崎書店、1909年)にも観光地として「神鳴山」が紹介されていました。ほかの資料として福島県教育会双葉部会編『双葉郡誌』(児童新聞社、1909年)の「神鳴山」について見てみたいと思います。

 

-------------------------------------

 

神鳴山

大堀村大字小丸にあり。高瀬川上流の奇勝にして峻巌巍々として峙ち老松屈曲して危岩に蟠り、潤水其下に流れ紺碧恰も蒼海の如し。満山に方言ボケと称する岩躑躅の花開きて全山を粉粧す。傍に一奇石あり、広さ二十畳に余り風光明媚人をして恰も仙境に遊ぶの感あらしむ。

 

-------------------------------------

 

この『双葉郡誌』の記述を見て気が付いたのですが、前回のブログで取り上げた『奥相志』の「神鳴」の記述と大変類似しています。当時、『奥相志』は出版されていないため、簡単に『奥相志』を見ることはできません。おそらく、原本とともに写本、あるいは両竹村(現在の浪江町両竹・双葉町両竹)のように稿本があり、それに基づいて『双葉郡誌』の編者が執筆したものと思われます。

 

※両竹村の『奥相志』稿本については、『大字誌両竹』第1号の泉田邦彦さんによる「資料紹介「両竹村地誌書上」― 相馬中村藩領南標葉郷両竹村の「奥相志」類本 ―」をご覧ください。

 

さて、そこで注目されるのが、『双葉郡誌』の編者が誰かということですが、編者のひとりが北標葉高等小学校の校長だった門馬豊八です。門馬豊八については、拙著『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』(いりの舎、2021年)110~113頁、拙稿「郷土史アーカイブズと大字誌編纂―福島県浪江町川添区長鈴木実と『川添物語』―」(『国文学研究資料館紀要アーカイブズ研究篇』19、2023年)10~11頁でも書きましたが、浪江町の教員であり郷土史家です。彼の郷土史ネットワークはかなり広かったことがうかがえ、『双葉郡誌』編纂に当たって『奥相志』の原本に目を通していた可能性が考えられます。

 

※上記の図書については↓

 

 

高瀬川渓谷(2023年7月23日撮影)